松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

虐められたから開戦に至ったのではない

時代の空気は変わり、日本の右傾化は留めようがないのだろうか?

 長期不況とあいつぐ危機に痛めつけられて、人々の心は傷ついた。情緒不安定で自己愛に満ちたナショナリズムを呼び起こした。この気分にとりつかれると、戦前も今も、国際認識が歪む。
http://www.ceac.jp/j/column/backnumber.html

 満州建国は絶対悪であると中国は主張する。わたしもだいたいそう思う。だが読者の皆さんはそう思いたくなければ思わなくても良いとわたしは思う。だが、「なかった派」のようにナルシズムにふけり、事実から全く乖離した歴史像をもてあそびはじめるのは、日本の遠くない過去の歴史に照らして危険!であることははっきりしている。

 満州事変以後、もし日本が国際協調的な外交路線をとれば、日本は全面的破滅を招かずにやってゆけたであろう。しかし満州事変の「成功」を見て軍人の後輩たちは先を争って大陸への軍事の進出を繰り返すようになった。対外強硬論と軍事力の発動が国益に適う立派な行為と国内では称賛された。国際協調論や他国の意向を配慮しての慎重論は愛国心を欠く「非国民的」な議論として侮蔑された。こうして30年代の日本はブレーキのない対外強硬論の社会へと傾斜した。
 言うまでもないが、国際社会は日本のそうした認識も行動も受けいれない。軍事侵略を受ける中国をはじめアジア諸国が悲鳴をあげ、反日感情をつのらせるのは当然である。西洋諸国にとっても、日本がアジアを排他的に支配するのは許せない。英仏蘭など既得権を持つ国にとって、それは脅威であり、米国も日本の暴挙に怒った。対中強硬論は、ドイツなど一部の粗暴な現状打破国を除く「世界を敵とする戦争」へと連なったのである。国際認識と対外行動の逸脱が日本を亡ぼした。
http://www.ceac.jp/j/column/050209-2.html 五百旗頭真

以上は高校の教科書に載っていることと大差ない。したがって引用する必要もないわけだが、そのような常識に反することを言い立てることを喜ぶひとが一部にいるため念のために引用する。
五百旗頭真さんは政治学者です。本は読んでいません。決して左翼ではない。