松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

日本民族の特殊な使命

高山岩男にも良いところはあった。
「従来の世界史における世界の構造は、……中心と周辺との支配隷属関係であった。かかる世界の構造は変えられなければならぬ。真実の世界の構造は一が多を統一し、多が一に帰属する関係ではなく、多がそれぞれ独立しつつ一である如き構造でなければならぬ。……欧羅巴的世界から世界的世界への過渡が現代史の課題であり、(高山)」*1
ここから導かれるのは、徐寅植が言うように、「個体が個体として独立しながらそのまま全体となることができる構造をもった世界である。」つまり、従来の世界史を覆そうとする大波の中心が日本民族でなければならぬ、というたまたま時流とシンクロした高山の信念と切り離して、「一即多、多即一」世界観を評価することもできるのだ。
「高山の擁護する<世界史>の多元性は、つまるところ、西洋中心主義に対してアジア大陸の諸民族を統合しようとする日本中心主義に置き換えられている。日中戦争以来の京都学派の言説は、西洋中心の近代文化をのりこえるべき東洋文化の本質を「絶対無」の世界として論証し、東洋を代表すべき日本民族の特殊な使命を必然化していたのである。(趙寛子)*2
 戦後派としてこの文章を読むと、「絶対無」のところに「絶対平和」を入れ替えて読んでしまうという誘惑を抑えがたい。戦争に完敗し、全面的に西欧の論理(平和の敵である日本)を受け入れたわけであるが、無に立脚する京都学派はこたえない。戦争の論理を棄て、非武装の日本を世界に主張することが、「西洋中心の近代文化をのりこえるべき東洋文化の本質を「絶対無」の世界として論証し、東洋を代表すべき日本民族の特殊な使命を必然化」することにほかならない訳だから。

*1:「徐寅植の歴史哲学」思想2004・1月号p38 べつにここから引く必要もないのだが

*2:同上p39