松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

チェチェンでの殺戮

 1995年1月17日いわゆる阪神淡路大震災が起こった。翌日の新聞にはチェチェン紛争についての記事も載っていた。「チェチェンでの戦闘で市民や戦闘員の死傷者が異常に増えている」死者数は双方併せて3万人以上とも読みとれる。いずれにしても当時このことに注目した日本人はほとんどいなかった。*1

 チェチェンではそれ以後も戦乱が続いた。最近も事件があった。常岡さんのサイトから引用する。 http://www2.diary.ne.jp/user/61383/
 5/9 偽チェチェン共和国ロシア傀儡政権のアフマド・カディロフ偽大統領がチェチェン独立派の殉教作戦で爆死したらしい。カディロフはチェチェンの元ムフティ(イスラム法学者)。ロシア諜報機関・連邦保安局(FSB)のエージェント出身で、チェチェン民族と全イスラム教徒に対する裏切り者だ。第一次チェチェン戦争期にはドゥダエフ初代大統領の懐に潜り込み、チェチェン政府のNo.3に登りつめていた。今回は市民を傷つけることなく、市民の無差別殺戮を繰り返してきた侵略者の頭目だけを狙い定めて倒した作戦で、どんな基準から考えてもテロと呼ぶべきではない。
チェチェン戦争はロシア国家がチェチェン市民を侵略、大量殺戮している戦争だ。」と常岡さんは言う。わたしは勉強不足なのだが彼は(たぶん)正しいのだろうと思う。

*1:松下昇『概念集・12』p23に言及有り