松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

私の自主講座運動

 久しぶりにホームページを更新しようとしたら、ftpから入れない。焦った! インフォシークのページに行くと、2月20日(金)16:00〜2月26日(木)14:00 FTPによるファイルの更新などができない、と書いてある。その後は使えるのだろうか。不安だがこのまま行こう。ちなみに自分のためにメモしておくが「iswebIDは、旧トライポッドIDに“-lj”を足したものになります。」
 載せたかったのは松下昇の「私の自主講座運動」の前半。とりあえずここに貼っておこう。




私の自主講座運動

(松下昇氏の表現)
 詩というものが無数の表現方法をとるように、闘争にも無数の方法があると思いますから、私も自分の軌跡について、ひとまず報告しておきたいと思います。ここへやってきたのは、さきほど菅谷君もいったように、たんに報告するとか、講演をするためではありません。菅谷君はもともと、神戸大学で一諸にドイツ語を教えていた仲間です。数年前から我々をとりまく情況をなんとかして突破しなければならないと考え、そのために、我々は様々な目にみえない闘争をすでに開始していたのです。いま、場所的に離れてはいるけれども、私のやっている自主講座運動と菅谷君のやっている解放学校とがいわば〈 〉のように情況を包囲する形で現実化しようとしています。そういう特にあたって、私自身も六十年代に自分がやってきた事を総括する意味をこめて、今日、ここへやってきたわけです。

 私(たち)の運動の特徴を六つの項目にまとめてみました。
 一番目は、二月二日に私が出した「情況ヘの発言」に示されていますけれども、大学闘争における表現の階級性粉砕を主要な根拠にしています。例えば、権力を持っている者の表現と持たない者との表現とは、文字として、あるいは声として同じであっても、それが現実に持つ意味については全く違ってきます。そして闘争の契機自体よりも、闘争過程において各人が表現にたいして持っている責任を追究する形で、闘争が持続しているわけです。
 具体的には、この問題について全ての人が私に対してこたえるまで、大学の秩序に役立つ労働を放棄するという形で授業や試験やその他一切の旧秩序推持の労働を拒否しているわけですけれども、同時に、単純な拒否でなく、自分の出来る範囲で攻撃的に粉砕してゆこうと考えました。大学によってそれぞれ条件は違うと思うけれども、我々の場合には、自主講座運勤がいわゆる全共闘運動を包囲している形で展開されており、また単に闘争者がやっている運動というよりは、この運動にかかわる人間がたとえ我々が敵対する場合でも、自主講座運動に無意識的にも参加しているのだという確認を前提としています。たとえば、我々の自主講座に大学当局や民青や、さらには機動隊がやってくる場合も、彼らを平等な参加者とみなして運動を続行してきました。
 二番目は、創造(想像)的なバリケードです。全国的に目に見えるバリケードが撤去されている段階において、本当のパリケードの意味
はこれから追求され始めるであろうと思います。そのための条件として
、目に見えるパリケードの中に何を、いかに形成してきたかということがあります。神戸大学の場合でいうと、大学措置法成立後、もっとも早くバリケードが解除されましたけれども、バリケード形成以前から一貫して自主講座運動を続けていたために、解除されたということがそれ程打撃にならなかったのです。そればかりか、最後までバリケードで徹底的に活動したのは自主講座運動であったし、またその後の授業再開、試験強行にたいしてもっとも戦闘的に反撃したのは、我々の運動でした。
 我々が活動する空間がそのままバリケードになってしまう。例えば、この教室を授業で使うとしますと、ここを占拠して、自分達の問題提起をおこなう。別にロッカーとか、机で封鎖しなくても、我々の存在がそのままバリケードに転化していく。しかも、移動可能なわけですから、いたるところに出没して、ゲリラ的にバリケードを運動させていくわけです。これは不可視の領域へまで拡大していくべきだと思います。
 三番目は、我々の自主講座運動のテーマはどういうものか、ということです。これは明確に定義をするのは不可能だと思うのです。むしろ不可能である様な運動を目ざしているのです。まず、明確な規定として、これこれに近づこうという風な運動論はもはや破産したと思います。我々が創り出しうる最も深い情況に我々自身が存在すること、そのことによって引き寄せられて来る一切のテーマが自主講座運動のテーマであるし、その時やって来る全ての人間が自主講座運動の参加者になるわけです。だから、毎日、過渡的なテーマはかかげておくけれども、そのテーマどおりに進行するかどうかは分らないわけです。テーマをかかげることによって、そのまわりに変化が起こります。そして様々な力関係でこの部屋ならこの部屋に問題が殺到してきます。反論や撤去命令や機動隊導入など。その様な変化がそれ自身、持続的体系的な自主講座のテーマに合流するのです。そこにはじめて、学ぶことの怖しさが何重にも予感されてきます。いまのところ初期にくらぺて、目に見える意識的な参加者はおそらくここにおられる人数よりも少ない場合が多いと思います。しかし、目に見える参加者が多いとか少ないとかいうことをそれ程、気にしないで良いと思うのです。少な
くとも二人いれば、永続出来ると言う確信がありますから。
(続く)

(1969年12月都立大解放学校での問題提起 「ラディクス」2号から転載)
(松下昇表現集 1971.1.1 あんかるわ別号≪深夜≫版2 p23〜より)