松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

157 世界とは卵(らん)である 野原 燐 2003/02/01 14:42


檜垣立哉さんの『ドゥルーズ』NHK出版の薄い哲学シリーズの一冊、
図書館にあったので借りてみた。
読みやすく面白い。


世界とは卵(らん)である。という断言から始まる。おおっ!
「表面的には均質的にもみえる卵の内部は、さまざまな分化に向かう
力の線に溢れている。」しかも「それが何になるのかが、あらかじめ
すっかり決定されているわけではない。」
「多様なかたちをとるために、それ自身はかたちをなしていない力の
かたまり、それが卵である。」p28
生きるとは、未決定性それもどろどろぬたぬたした粘液のなかで育まれる
生成(安住すべき拠点も定められた目的もない)そのもののことだ。


これってかなり神道的な気がする。
「神とは常の神にあらず。天地に先だてる神をいふ。道とは常の道にあらず。
乾坤に越えたる道をいふ。」『神道大意』(15世紀)より。(註)
世界が名づけ得る諸現象に分化する以前の、始まる前の<混沌>。それが
吉田神道での神である。


根拠、基盤、絶対的基準そういったものすべてを拒否して、なお多様性の
生成に賭けたドルゥーズ。その営みからは学ぶべき多くのものがあるはずだ。
だが、一方混沌というものも、正反対の筈の天皇絶対主義のような同一性の
思考(制度)の支柱になってしまうこともある。それも同一性の思考の罠
というものなのだろうか。


どろどろぬたぬたした粘液即ち卵といった奇妙な未開のイメージが、
実は最新の哲学の基礎概念となっているということ。そのことが、
わたしにはとても面白く思えた。(そして、神道も一部だけ取り出すなら
捨てたもんじゃないのだとも思えた。ふっふ。)

                     野原燐

註:菅野覚明神道の逆襲』p122(講談社現代新書) より