松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

新しい国家権力を受け入れるための虚偽意識

 10/19に「国家神道」という本を読み始めたのだが、どうもすっきりしないので、会沢正志斎の本とか読みかけたりしていた。今回ちょっと遡りすぎかもしれないが、ヘルマン・オームス『徳川イデオロギーぺりかん社を読んでみた。isbn:4831504963 *1


オームスの本は、思想史とは何かという問いかけを含んでいる。
闇斎という思想家が先行する藤原惺窩や羅山などとの関わりと差異において自己を確立し、また保科正之という政治家とも深く関わる。このような図式であれば、その前提としての「思想」や「政治」というものがおかれた認識地平は問い返し得ない。しかしそうしたものはヨーロッパの歴史において作られてきたカテゴリーであり日本には適用できないと考えた方が良いのではないか。例えば、儒学の言説内容においては朱子のそれを闇斎はそのまま複写している場合も多い。しかし中国と日本では儒者の社会に於ける存在様式が全く違うのだ。したがって同じものであっても同じ言説と考えることはできない。


言説が社会に於いて必要とされるのは第一に、権力を持続させたいがためである。
16世紀、天下統一時に「新しい政治的言説が形成される」。

それはきわめて宗教的なもので、支配者と政治体制を神聖化したのである。…第一歩は支配者たちによって踏み出された。彼らが選んだ媒体は儀礼であって、彼らの目的は自己神格化であった。ついでかかれた言説が作られてたくさんのテキストとなった。p8


戦国時代は赤裸々な武力の時代だった。権力はそれを正当化する言説を必要としなかった。
しかし信長が天下を手にしたとき、彼は自己の権力の名前と基盤が必要であることに気づいた。*2


一向宗門徒一揆を残虐に殲滅することで信長は天下にたどり着いた。

一揆門徒は、自らを「王孫」あるいは「公儀の御百姓」と捉え、武士たちを不当な介入者として拒絶した。武士たちをみんな殺して、本願寺の聖なる支配者を「国王」にしようと公言した。彼らの論では、この世は仏国土であり、親鸞蓮如の生れ変りによって支配されるべきであった。一向宗の徒は、最高権威である王すなわち天皇、あるいは本願寺の聖人と自分たちとの間にどんな介在者も許さなかった。(略)すなわち彼らの考えにおいては、権威はただ一つの場所=頂点だけにあったから、社会には本来どんな政治的階層もない。この政治の在り方は、彼らをすべての中間権力から解放し彼らの自治を守ることになる。*3


信長は一向宗から学んだのかもしれない。信長は自己を天下に同一化しようとした。
さらに進んで、「彼は、自分の力を本願寺のように絶対化し、死後の救済と神仏の祝福を授ける宗教的権威すら自分にあると称した。1575年9月の越前一揆の敗北の後で、彼は留守訳の柴田勝家のために九箇条の掟を述べ、尊敬と全的な服従のみならず「崇敬」までも要求し、そして「冥加」と「長久」を彼の侍に約束した。」*4 

フロイス神父への手紙によると

自分への崇拝は、金持ちにも貧乏人にも富を与え、そして跡取りの無い者は子孫を、またすべての者に長寿と健康及び平安を与えるものだ、と信長は誓った。疑う者、不信の者たちは、現世においても来世においても滅びに至る、という。信長はさらに加えて、この新しい崇拝においては自分の誕生日は聖日として記念する、と宣言した。*5

 *6


信長の狂気を述べたいのではない。新しい支配者は正当性(legitimacy)という問題に答えを与えなければならない。安土城という壮麗な建築物と絶対権力で讃えることにより、自己を宗教的権威としてプロデュースすることは一つの合理的答えであった、ことを確認したい。


そして秀吉は別のやり方でこの問いに答える。彼は「日本は神国である」と言うのを好んだ。
秀吉も彼の権威に宗教的な基盤を与えた。大仏を建立していた方広寺の隣に、彼自身(「豊国大明神」)を祀る神社を建てることを遺言した。


家康と彼の子孫も別のやり方でこの問いに答える。
大名たちの参勤交代という儀式は将軍の中心性を定期的に明らかにする。オランダや朝鮮の使節もそれに参加する。1645移行、朝廷は日光東照宮に例弊使を毎年派遣し、将軍の権威を確認した。


このように「武将権力の神威への変貌」*7は、主に言説ではなく儀礼によって確立された。
「彼らは自己の勝利を他にうけいれさせなくてはならなかった(略)彼らの目的は社会における彼らの地位に付いての、ある虚偽意識を創り出すことだった。」*8


三代目家光の時代になると、自己を無理やり神聖化する必要は弱くなる。「秩序は秩序である」ことを巧妙に強調するだけで自己の立場を揺るぎないものにすることができる。現在の体制の秩序を「天道」の体現であると意味づけることで。*9

*1:名著といって良いと思う。後書き黒住真氏が書いているが、日本人の研究がたいてい所与の前提の上に立ってなされるのに対し、この本は前提、視野そのものを意識的に語ろうとしている。

*2:cfp49

*3:p52 同書

*4:p54

*5:p60 同書

*6:ところで、北朝鮮民主化を主張する我々は、日本の天皇誕生日と昭和の日、建国記念日も廃止せよ!と要求する。

*7:同書 第二章副題

*8:p94

*9:p96

徳川イデオロギー__山崎闇斎と解釈のレベル

「土金の伝」という、吉田神道の秘伝がある。吉川惟足を経て山崎闇斎に伝わった。*1
われわれにはちょっと荒唐無稽に聞こえるがざっと紹介してみよう。

伊弉諾は火の神「かぐ土」を五つに切った。「土」は5という数が対応する五行のダイアグラムの中心である。「火」は「土」の源であり「神明の舎」である心と結合する。そして「つち」はまた「つづまる」であり、固まり、凝り、「じっと」不動になることである。そして土は固まって金に変容する。土を固める方法の一つは湿らせる(つちをしむる)ことである。「つつしむ」は即ち「敬む」のことである。このことが起こる場は、心である。*2

身体の中で、心臓は「はら」よりも「高い」。それゆえ人の体は「たかまがはら(高天原)」、即ち心臓を持つ。そして、人が先ずそこを空にするならば、ここに神々が宿るであろう。*3

ここに日本紀大己貴神のエピソードを重ねる、大己貴神が、海の彼方から来た輝く物体として眼前に現われた自分自身の魂と対面したという。
わたしのうちには幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)という私にとって未知の、神に近い魂がすでに宿っている。私は自己を清浄にすることにより心臓の中空に魂(神)を迎えることができる。
これはちょっといいかも、と思った。


次に闇斎は日本神話ではさほどメジャーではない神、猿田彦を取り上げる。闇斎の形而上学はすべてに貫通している根源の「一理」に復帰しようとする傾向が強い。*4
「無極にして太極」原初的な混沌は庚申の猿のうずくまる姿勢によって表される、思念の無い、胎児のような状態である。それは感覚が活動する以前の未分状態、つまり、未発の「敬」の領域、道の完全性、中庸の中を表す。


朱子学においても性即理ですので、宇宙原理は自己の内側に発見できるともいえます。しかし怪力乱神を語らない儒教とはだいぶイメージが違いますね。


ジェイムスンの「解釈の4つのレベル」理論を、オームスは闇斎に適用しようとする。

1)字義どおりの(歴史的な)レベル ・・歴史的事実 造化の史実
2)寓意的レベル ・・解釈の鍵  宇宙一理
3)倫理的(個人に向けられた)レベル ・・主体の行動の意味 心は神明の舎
4)超越的(アナゴキカル)なレベル ・・歴史の集合的な意味 ひもろぎ 人の行為が日本の運命に関与

*5

神代記の一節は、「五」=「中」=「土」=「敬(つつしみ)」といった等値により、寓意的な解釈に近づく。


次にそこで見出された「心は神明の舎」といったテーゼは〈倫理的〉レベルを開く。個人に語りかけ個人を問いただし倫理的実践を強いるに至る。


次に「万国に優越した国である日本の宿命」という観点から、さらに書き換えが行われる。皇統の天壌無窮というスローガンがそれを補強していく。


太古の神話の一片から個人の強烈な倫理的実践、そして宿命的愛国心まで。これこそイデオロギーのフルコースであり、次の時代に「被支配者である大衆からせきにん有る主体=臣民(サブジェクト)を創出」していくことになった。*6

初期徳川イデオロギーは、論じてきたように、日本最初のイデオロギーであった。またある意味では、かって日本が有した唯一のイデオロギーである。今日の日本における社会的・政治的諸価値は、17世紀に獲得した構造をそのまま持ちつづけている。*7

「おわりに」でオームスは結論を一挙に普遍化する。
明治から1945年の敗戦までの日本は、教育勅語とその過激化としての超国家主義という一つのイデオロギーに支配された。それは次の4レベルで記述できる。

1)字義どおりの(歴史的な)レベル

肇国の皇祖皇宗|

2)寓意的レベル(allegolical)

皇威|

3)倫理的(個人に向けられた)レベル

儒教的諸徳目|

4)超越的(anagogical)なレベル

皇国の護持・天壌無窮|

そしてそのような超国家主義清算したはずの戦後においても、日本人論というナルシスティックな日本特殊論が大きな影響力を持つ。
1/2/3/4 のうち1/2/は欠くものの、それ以外は次のように指摘できる。

3)倫理的(個人に向けられた)レベル 仕事熱心と仕事への献身
4)超越的(anagogical)なレベル 日本の経済的反映の維持  

この結論についてはほとんど展開されていないこともありこの翻訳が出た1990年ごろなら、あまり注目されなかったのではないか。その後911以後、きなくさいナショナリズムの時代になり、右派の安部政権を経てなお、多様な不透明なナショナリズムが社会の至る所を覆っている。国家神道の存在(遍在)を指摘する人もいるくらいである。
このような現状を考える一つの軸、ツールとして「徳川(日本)イデオロギー論」は使えるのではないか、と思う。

書評

松岡正剛氏のもの http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1090.html
(いつもほど切れ味が良くない)
gaku4.pdf

基礎知識 梅森直之氏による案内 *8

http://www.f.waseda.jp/umemori/local/02.pdf

*1:日本思想体系39 近世神道論・前期国学 のp67に吉川惟足「土金之秘決」というのがある。これのことだろう。

*2:p305『徳川イデオロギー

*3:p319

*4:p325

*5:p350

*6:p354

*7:p383

*8:私は知らないことも多い