きみたちの仮装をはぎとり
これらすべてのときに生じる不安を階級関係と対応させて新しい組織をつくりだしていく。そのとき、同時にきみたちの仮装そのものをはぎとりながら。
(松下昇 「六甲」第5章)
なんらかの事情で国内亡命者になってしまった者。彼らだけが作り出す、新しい文化を。*1
国内亡命者というのはこっけいな存在である、常識的には存在しない差異にこだわって、自分で自分を不幸にしている。全共闘世代によくあったのは東大構内に入れないとか成田空港に入れないとか。まあそんなことはどうでもよいが。ある種の中国人はある日付には自宅を出ない自由を持つ。*2
仮装とは? ある建物や会議室に入ろうとしてidを忘れた(持っていない)場合、他人のidを利用するしかない。この当たり前のことを指摘しているのが「仮装」である。
〈あなた〉が会議室に入る、つまり討論に参加する権利は認められなければならない。これが全共闘の基礎を構成するいくつかの命令の一つである。
この常識においてメンバー外の仮装は必要とされる。このとき、正規メンバーは逆に「国内亡命者」意識を持つようになる。
不安。メンバーシップというのは自己の常識の基礎でありそれを疑うのは、難しい。したがってそうした問題意識はまず、不安をもたらすものとして現象する。
あなたの不安とわたしの不安を対話させることが出来れば、「新しい組織をつくりだす」ことができる。
「新しい組織をつくりだす」ことができなければ、あなたの不安とわたしの不安を対話させることは出来ない。
北朝鮮は緊張緩和を望むか?
現在の朝鮮高校生もつかっているらしい(ただし朝鮮語版)、現代朝鮮歴史(日本語訳)の第3巻だけを送ってもらった。
この本の構成を書くと第3巻は第6篇と第7篇*1からなり、それぞれのタイトルは「政治・軍事的な緊張状態を解消し、共和国での朝鮮式社会主義の狂歌と、南朝鮮での自主、民主、統一のための闘争」「民族の尊厳と自主権を守り、共和国での強盛大国の建設と南朝鮮での反米自主、民主化のための闘争」となっている。第6篇、第7篇とも5章に別れ、
といったきれいな構成になっている。
北朝鮮は分断国家であるが、韓国や台湾もそうだ。韓国や台湾で自国のエリアの歴史に1/5しか割かれないというのはありえないだろう。(そうでもないか、少なくとも少し前までの台湾はそうだったでしょうね)
考えてみると日本では、歴史の半分は日本史であり、東洋史は世界史の付録という扱いである、この方が歪みはひどいかもしれない。
さて、本文をさっそく2ページほど読んでみる。
「1970年代末、世界はしだいに「緊張緩和」から「緊張激化」へと移っていった。」とある。なるほど。
まあなんらかの「冷戦構造」を土台に据えないと、立論することも存続する事もできない国家であろう、というわたしの偏見は裏付けられた。
1977年カーターは「平和」と「人権擁護」「軍備撤廃」の美名をとなえた。(考えてみると、オバマに似ている。オバマの方が破綻は明らかのような?)
アメリカは1978年3月、エジプトを引き込み「キャンプデイビッド協定」を採決しようとしたが、アラブ諸国の反イスラエル、反米感情は急速に波及し、1979年2月にはイラン革命が勝利した。
南アメリカでもグレナダ、ニカラグアなどの親米政権があいついで崩壊した。(同書p4)
現在もトルコを含む近隣諸国とイスラエルとの緊張関係が高まっている。日本でだけは「対米従属一本槍」路線に回帰したみたいだが、中東情勢はどう展開するか分からない。
「反帝自主勢力側」対「アメリカ」という非常に分かりやすい図式がうちだされる。でこの章の結論は、
核戦争の危険は日を追って大きくなっていった。
朝鮮人民の前途には、朝鮮半島につくりだされた政治軍事的緊張状態を緩和し、外国勢力による核戦争の惨禍を阻止し、民族的な和解と団結による祖国統一の、転換的局面を切り開かなくてはならない、切迫した要求が提起された。(p7)
アメリカが好戦的勢力であり、わが国は緊張緩和をひたすら望んでいると。よど号グループとアラブ赤軍グループ在日同胞の連携みたいなことが、わたしの乏しい知識のなかにあったので、自国民に対してはこう説明しているか、ふーんという感想。
とにかく、ある意味では非常におもしろい点のある本で良かった!