松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

『心のノート』活用推進事業を廃止せよ

 例えば文科省は「廃止すべき事業」とされた「『心のノート』活用推進事業」(今年度3億円)を道徳教育関連予算に含めるかたちで要求。
http://www.asahi.com/politics/update/1023/TKY200910220559.html

資料:心のノートpdf版 中学校版
http://cebc.jp/data/education/gov/jp/konote/cyu/

 小学校低学年(1・2年)用に目を通すと、「しっかりやろう」「あかるい気もちで」と、常に「心が前向き」であることが要求されています。「学校の勉強が楽しい」って感じることが、元気である、「元気パワー」に満ちあふれているって読み取れる記述があります。(西野 博之)
http://www.kodomo-hou21.net/kokoro_note.html#04

日本の中学生は外国と比べると元気が無いらしい。世界への率直な疑問や普遍への尊敬といったものが養われずに、知が受験(選別システム)に奉仕している学校制度のせいではないだろうか。生徒に無意味な閉塞感を持たせることにより学校の秩序維持をはかりたいとする学校当局の意図も加担している。
「心のノート」は心に焦点を当てることにより、秩序の中で秩序に従順に生きることを肯定する倫理を生徒に押し付けているのではないか。学校というもの自体がもっとおおらかで楽しいものでありうる、という観点からは、廃止は当然であろう。

「何の強制力もありません」

 文部科学省は「心のノート」を「道徳教育の充実に資する補助教材である」と位置づけています。このことは文部科学省の依頼文、通知文に書かれています。そして、配布当初は当局はこのノートを、世論とくに教育関係者からの批判、疑義を気にして、「各学校において有効かつ適切に活用されることを期待します」、「何の強制力もありません」ということも言っています。
http://osaka.cool.ne.jp/kohoken/lib/khk210a1.htm#%E4%BE%9D%E9%A0%BC

 「何の強制力もない」ものを何億円も使って作成配布する権利が、文部科学省にあるのか? ないだろう。

教師が補助教材を使用するのは自由であり、何が「有益適切」であるかの判断は学校・教師(集団)に委ねられているというのが原則である (同上)

助教材選択する権利は学校・教師(集団)に委ねられているのであり、文部科学省はその自由に規制を加えるべきではない。


「心のノート」の法的根拠はどこにあるのか、というと、「文部科学省設置法4条11号」つまり、文部科学省の所掌事務として挙げられている「教科用図書その他教授上用いられる図書の発行・・・に関すること」が示されるそうだ。しかしそれは論理のすり替えだろう。教科書自体すら国家直営で編集発行していない。心のノートを教科書より大事な物と位置付ける別の法律を成立させない限り、文部科学省に金を使う権利はない。
(10/24記)