松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

自己/最も極端なもの

 「思考が真であるためには、思考は思考自身に対抗して思考しなければならない。」とアドルノは言う。「概念に抑えこまれずに逃れて行くもののなかでも最も極端なものを基準にして自己を測ることをしないならば、思考は伴奏音楽にはじめからなってしまうのだ。」と。(p444 否定弁証法
「それ以外のロマ人、スラブ民族(特に戦争捕虜)、共産主義者ポーランド人、身体障害者、同性愛者など」、昨日このような文字列を書いた。だが*1わたし自身ロマ人などについて語れるほど何かを知っているわけではない。にもかかわらず何故このようなことを語ろうとするかと言えば、「最も極端なものを基準にして自己を測らなければならない」といった、自己否定の命令を大事にしなければならないと思っているからだ。
 良心でもって歴史に誠実であろうとしている自己を大事にすべきなのか? 学者は学問でもって、サラリーマンは仕事でもって社会に影響を与えるというのが正しい生き方である。それを否定するのは難しい。それはそうかもしれない。しかし一方ではものごとの蓄積というものはかならず「弯曲した枠組」を前提にしており、蓄積そのものは本来その弯曲に気づけないのである。したがって、困難を飛び越えて〈最も極端なもの〉をいまここに現出させなければならない。
 心配されるだろうように、〈最も極端なもの〉はすぐに、「連合赤軍的なもの」に変質する。しかし、〈最も極端なもの〉を避ける思考も伴奏音楽になってしまうのだ。思考することは、切り立った刃上を歩むことだ。

*1:いつものことだが

「ホロコースト」を諷刺する権利?

2006年2月、イランの『ハムシャフリー』紙は、「西側諸国は言論の自由を、アメリカやイスラエルの犯罪、ホロコーストにも拡大するだろうか。それとも言論の自由は、宗教的尊厳を傷つけることが唯一の目的だろうか」と、西欧における「表現の自由」の二重規範を問いかけ、「ホロコースト」を絶対視する西欧&イスラエルに対して、「ホロコーストの風刺画」コンテストを世界に呼び掛けた。アフマディネジャド大統領はこれを全面的支持して、「ホロコーストは神話である」と発言した。

無論、これに対してイスラエルは猛烈抗議した。が、しかし俳優兼舞台監督アヤル・ズッスマンは、イスラエルの各メディアに「デンマークの新聞社がイスラーム教徒を愚弄する風刺画を掲載し、騒動を引き起こした。イランの新聞社はホロコーストの風刺画コンテストを実施して対抗した。今日イスラエル人のグループが、イスラエルにおける反ユダヤ主義風刺画コンテストの開催を宣言する。」という開催宣言文を送りつけた。「ユダヤ人こそが最も反ユダヤ主義の憎悪に満ちた風刺画を書く能力があることを、世界に示そう。イラン人にホームグラウンドで負けるわけにはいかない。」と自虐ネタで対抗したのだ。2006年2月「イスラエル人による反ユダヤ主義風刺画コンテスト」を主催し、世界各国のユダヤ人から100点を超える応募があった。
http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20090324#p9

id:hokusyuさんからはちゃんと

コメントがきていた。

できれば、ドイツ現代史あるいはホロコーストに関するまともな概説書をせめて一冊読んでから出直してもらえませんかね。/なぜwikipediaの記述だけで、検証するに足る「問題意識」が持ちうると思ったのか謎です。 2009/03/24

wikipediaの記述だけ」では何が不足で、「ドイツ現代史あるいはホロコーストに関するまともな概説書をせめて一冊読む」ことで何を補足すべきなのか、お教えください。

hokusyu これはひどい, あとでdisるかも

どこかひどいのかな?

小沢の涙ならともかく

http://f.hatena.ne.jp/noharra/20000110102020

わたしの家の台所の流しを取ってしまった*1なんてことには、誰も興味をもたないでしょうが、とにかく台所は工事していていまは殺風景です。で今日はピザとワイン(799円のオーストラリア)で孤独に食事しました。関係ないが今日の小沢の会見は良かった。政権交代のためならいつでも辞任はします、といいながら検察にケンカを売っている。検察もヒヤヒヤでしょう。女性有権者の指示も確実に増えたかもしれない。

*1:すぐまた付けます