松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

追悼について

http://d.hatena.ne.jp/F1977/20090106/1231215436
こちらで、F1977さんが1月5日大阪でのパレスチナ民衆虐殺に抗議するへの抗議行動、の報告を書かれました。
 集会の後で会議があり、ガザでの悲惨な状況に思いを致し、それをみんなにも呼びかける方法について議論があった、ということです。

そうして、死者の「追悼」という行為をめぐって、会議の参加者の中で、いろいろ意見の交換が行われました。

 死者の「追悼」、死者をどう悼むのか。意見の中のひとつに、「追悼」という行為が、ひいては「靖国」的なものにつながる、「靖国」的なものを容認するような根拠を与えてしまう、それを懸念して「追悼」は行わないほうがよい、というものがありました(かなり乱暴な書き方をしてしまっていると思います。すみません)。その意見を聞いてわたしも、実際に「靖国」的なものが否定されずに残り続けさせている背景には、「死者」を絶対的なものとして位置づけ、そうして、「死者」すべてを悲しむべきもの、どのような「死者」であれ、「死者」は絶対的に悲劇的なものである、そう訴えることによって、「死者」を思う人々、「死者」に悲しみを覚えてしまう人々の心情を利用するという、政治的意図があるように思います。
http://d.hatena.ne.jp/F1977/20090106/1231215436

 「死者」のことを思う、「死者」への悲しみを通じて、そのような悲しい状況を生み出した「暴力」に怒りを覚える、このように、誰かが誰かの悲しみを共有することで、「死者」のいたみや苦しみを想像する、そして、同じいたみや苦しみを共有したものどうしがつながりあい、誰かの悲しみや苦しみをなくそうとしていく。わたしは、このつながり方の道筋は、とても人間的なもので、「暴力」に反対する、「暴力」を許さないと思い、行動していく力を、ひとりひとりに与えてくれるものだと思います。

 ヒューマニズム。感動的であり力を与えてくれる。
 イスラエルによる虐殺も、ハマースの爆弾による死も、同じ「死」であり、わたしたちは彼ら双方に頭を垂れるべきなのか、という問が浮かび上がる。宗教的にはそれが正解かもしれない。「強力な宣伝装置によって合理化されているようにみえるイスラエルの露骨なダブスタによって援護されている、イスラエルの暴虐」批判が、この間の抗議行動の核心である。
 「死者」のことを思うというドライブ、接近は正しくても、政治のなかにいる死者は分断されている。死者を分断し(死者をもたらした)政治状況に対して(最低限の)正確な認識をもたなければならない。


この記事をブクマして[考える必要あり]というタグを付け、「 「追悼」という行為が、ひいては「靖国」的なものにつながる、「靖国」的なものを容認するような根拠を与えてしまう、それを懸念して「追悼」は行わないほうがよい、というものがありました」の部分を引用しておいた。
それに対しで、id:mojimoijさんから応答があった。

誰かの死を悼むことと、その死に意味を付与することは、区別できることです。靖国が問題なのは、追悼それ自体ではなく、追悼される誰かを無視した意味を込めることにあるのでは?>id:noharraさん 2009/01/07

 「誰かの死を悼むことと、その死に意味を付与することは、区別できることです。」うーん正しいように思うが・・・
死は生者の世界に属さないので、低いレベルの政争からは免れているとされる。死は無意味であるがゆえにある超越である。
そして巨大な死は奇妙な形で超越を組織してしまい、巨大な権力を組織してしまうことがある。
参照 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090107#p2


知合いの死を悼むのは自然なことだが、遠くにいた人の死を悼むことにはやはり小さな飛躍がある。それでも悼むことは可能であり自然なことでもある。
悼むという行為は、共同性を招き寄せる。これがもんだいである。
漂白された死に対する漂白された思い。
追悼は、定義により悪への加担ではない。しかしそれは必ずしも主体の潔白を保証するものではないのた。追悼によって成立する共同性は、普通の共同性と同じに排他性などあらゆる悪に染まりやすい。利害というレベルを超えたより観念的なレベルに成立するがために余計高度化精緻化しやすい。


死者の象徴化それ自体、危険には違いないが、すべきでないとは思わない。例えば60年代の新左翼運動は、死者「樺美智子」のイメージとともにあった。しかしそれは、〈それ〉を自分が利用しているという自覚と、政治状況をより深いレベルに転移させる鍵として〈それ〉を再定義できる場合だけ、しか許されないことだ。

潔白意識

是が非でも潔白意識(good conscience)を避けなくてはならない。
デリダ*1

 文脈抜きにメモしておく。

主権国家は軍を持つ権利を持つ

http://d.hatena.ne.jp/tatsu___kun/20090108/1231422822
に対して次のように質問した。

# noharra
(1) [筆者に質問] イスラエル国家とパレスチナ国家の共存共栄。パレスチナ国家もイスラエル同様高度な兵器を持つ軍を保持する権利を持つことをid:tatsu___kunさんは認めるのですね?そしてそれを認めない国家は除去する必要があると? 2009/01/09

# tatsu___kun
(2)id:noharra様、『そしてそれ』が何を指すのかよく分からないのですが・・・。主権国家が国防力を持つことは当然の権利で、今その行使内容が批判されています。そしてハマスは自ら認めるように主権国家ではありません。 2009/01/09

idコールにどう答えるものなのか、よくわかっていないのでこちらで応える。
質問(1)を敷衍。
(3)
・・・パレスチナ国家もイスラエル同様高度な兵器を持つ軍を保持する権利を持つことをid:tatsu___kunさんは認めるのですね?・・・
答えはイエスですね。そしていま現在、パレスチナは国家ではないと。
(4)
・・・そしてそれを認めない国家は除去する必要があると?・・・
パレスチナ国家が高度な兵器を持つ軍を保持することをイスラエル国家が認める可能性があるのか。
イスラエル国家がどう考えても「主権国家が国防力を持つことは当然の権利で」ある以上、「イスラエル国家とパレスチナ国家の共存共栄」という立場からはそれは認められず、「パレスチナ国家が高度な兵器を持つ軍を保持する権利」をイスラエル国家は認めるべきである。
二国家共存案とは上記を意味しますね?

もしイスラエルが1967年の領土上でのパレスチナ国家を認めるのであれば、

二国家建設を破壊しているのは誰なのか?

 11月*1に入って、パレスチナ自治政府ハマス政権のイスマイール・ハニーヤ首相が、「1967年ボーダーの受け入れ」を表明した。「もしイスラエルが1967年の領土上でのパレスチナ国家を認めるのであれば、われわれもイスラエル国家を承認する」、と。
 もちろん、これまでの政治交渉のなかで、ハマス側は06年の選挙勝利以降、繰り返し、67年ボーダーを受け入れてイスラエル国家を承認する用意がある、ということは言ってきた。ただし、東エルサレムも含む西岸地区のなかにユダヤ人入植地は一つも認めない、という条件のもとでだ。(早尾 貴紀)
http://palestine-heiwa.org/note2/200811191437.htm

そのためには、パレスチナで、ファタハハマスが和解し、統合された自治政府ができなければならないし、パレスチナ人が支持したのであればどんな政府であろうと、イスラエルはそれを承認しなければならない。

 ごもっとも。しかし、ここまで二年前の民主的な選挙を踏みにじって、ハマス政権を追い込み、パレスチナ人の民意を覆し、内紛を煽り立てた挙げ句に、ガザ地区兵糧攻めしている、そういう自分の政府の責任は、そしてそれを二年間も容認してきたイスラエル国民の責任はどこに触れてある? (同上)

*1:2008年

イスラエル人はパレスチナ人を殲滅しないと平安を得られないのか?

たいていのイスラエル人たちはなんらかのかたちの正常さを得たいと思い、エフード・オルメルト首相の言うところの「生きるのが楽しい」社会になることを望んでいる。だが、(1948年の建国以来)60年も繰り返される大虐殺のどこに「楽しさ」などあろうか?

 そのうちの過去40年間(1967年の第三次中東戦争による西岸・ガザ地区の占領から)、イスラエルは組織的に他民族(パレスチナ人)を踏みにじり続け、占領の終了を拒絶してきた。パレスチナ人たちはあらゆる権利を失ってきた。彼らの生活は、ユダヤ人入植者たちによるポグロム(大虐殺)と、イスラエル軍によるバリケードや封鎖や隔離壁と、そして過酷な貧困のまっただ中に置かれてきたのだ。オルメルトは、「東エルサレムを含むすべての占領地から撤退する以外にイスラエルには選択肢はないだろう」と発言した(が、それは彼が政界引退をすることが明確になった後になってのことだった)。もしこれがオルメルトの真のポジションであるとすれば、彼はそれまでの任期を空疎なおしゃべりに費やしてきたことになる。しかし、実際の行動において、イスラエルのポジションはその正反対だ。撤退などしないし、自ら違法と認めているアウトポスト(前哨入植地)でさえ撤去しないし、ほとんどの入植者はそのまま住みつづけ、軍隊が境界線(国境)を支配しつづけ、そして ガザ地区は絶望の淵へ沈みつづけている。 (ヤコブ・ベン=エフラート)
http://palestine-heiwa.org/news/200901030223.htm

ジェノサイドしないと解決には至らない。

さらに悪いことに、この流血は無益でしかない。占領が続くかぎり、抵抗もまた継続される。これこそ、イスラエル政府が頑なに学ぶことを拒否してきた教訓なのだ。(エフラート)
http://palestine-heiwa.org/news/200901050339.htm

1982年のイスラエルレバノン侵攻では1万7500人が死んだ。このほぼ全員が一般市民で、大半は子供と女性だった。サブラ-シャティーラの殺戮では 1700人のパレスチナの一般市民が死んだ。1996年のカナの殺戮では、国連の駐屯基地に避難していた106人のレバノンの一般市民が死んだ。半分以上が子供だった。2006年のレバノン侵攻では、イスラエル軍に、家を出て避難しろと命令されたマルワヒン村の人々が避難所に向かおうとしているところにイスラエルのヘリコプターが襲いかかり、ほぼ全員を殺戮した。同じ2006年のレバノン空爆・侵攻では1000人が死んだ。このほとんどが一般市民だった。
ロバート・フィスク
http://palestine-heiwa.org/news/200901092348.htm

停戦を破ったのはイスラエルかハマスか?

2008年11月4日にイスラエル側がハマースとの停戦協定を事実上破って、それ以前にはなかった規模で攻撃をしてきて以来(略)
(サラ・ロイ)
http://palestine-heiwa.org/news/200901070629.htm

虚言・2:「ハマスが停戦協定を違反した。イスラエルの爆撃は、パレスチナのロケットに対する対応であり、ロケット攻撃を中断する為のものだ。」

イスラエルは最初から、全く停戦協定を守らなかった。

停戦協定の始まりから、イスラエルガザ地区に“特別保安区域”を作って、ここに入って来るパレスチナ人に銃を撃つと発表した。即ち、イスラエルは、自身の土地に入ろうとする、農民だった他の個人たちを撃つ意思を持っていたのだ。これは、停戦協定の違反であるだけでなく、国際法違犯だ。

パレスチナ人たちが、負傷を受けるなどの銃撃事件があったが、ハマスは、停戦協定発効時点である6月19日から、イスラエルがガザに空襲を断行して、5名が死に他の何人かが負傷を受ける11月4日までこの協定を遵守した。

イスラエルが停戦協定を違反しながら、予想した通りに、抵抗勢力イスラエルに対応してロケット砲を撃つ復讐をした。イスラエルは爆撃を正当化させるために、12月末、ロケット攻撃増加を利用した。しかしロケット攻撃は、イスラエルの攻撃に対する直接的な対応である。

停戦協定違反などのイスラエルの行動は、予想した通り、自国人に対するロケット攻撃を生んだ。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/2ecf2562826daeb6858939ee30dec8b9

ハマスについての歪んだイメージを修正しなければならない」

ハマスの政治ビューローの長であるハリド・ミシャールの文章を下記で翻訳しておられるので、是非読んでみよう。


この血の川は、嘘と虚偽の口実の下に流されている。6ヶ月間にわたって我々ハマスは停戦を守っていた。まず停戦を破ったのはイスラエルであった。それも何度も。イスラエルはガザへの検問所を解放し、この停戦協定を西岸地区にまで拡大するという条件だった。しかしイスラエルは、殺人的なガザ包囲を強化する方向に進み、何度も繰り返して送電や送水を止めた。集団懲罰は停止されず加速された。そして暗殺や殺害も。いわゆる停戦の期間において、イスラエルの火器で 30人のガザの人が殺され、封鎖の直接的影響として数百人の患者が死亡した。イスラエルは静かなひとときを楽しんだ。我々の民たちはそうではなかった。

この崩壊した停戦協定が終わりに近づいたとき、我々は新たに包括的な停戦を、封鎖解除と、ラファを含むガザ国境検問所すべての解放と引き換えに、行なう用意があると表明した。我々の呼びかけは無視された。しかしそれでも、我々は、ガザ地区からの侵略軍の完全撤退に続き、先と同条件で、新たな停戦協定を結ぶことにはやぶさかではなかった。
ハリド・ミシャール
http://nofrills.seesaa.net/article/112257816.html

天木さんがアジってる!

  デモに参加する事などめったにしない利己的な私だが、今日は小田実を思い出して   デモに参加する。

 この時に参加しなくてはデモに参加する時はない。
http://www.amakiblog.com/archives/2009/01/10/#001325

ので、(ということもないが)
出不精の私もたまには参加したい。

なお、参加される方は、プラカードや横断幕など、街頭に
アピールできるものをご持参いただければと思います。

日時 ● 2008年1月10日(土) 午後2時集合
〜午後2時45分デモ出発(3時半頃梅田解散)

会場 ● 中之島公園女神像前
(地下鉄淀屋橋駅1番出口から徒歩3分。大阪市役所南側)

すぐでかけなきゃ(といいながらぐずぐずしている)