公娼と性奴隷(従軍慰安婦)の違い
1)
http://www.han.org/a/half-moon/hm028.html#No.206
半月城通信 No.28
日本が「婦女売買国際条約」に加入するとき、外務省と内務省との間で娼妓の年齢をめぐって真剣なやりとりがありました。日本の娼妓取締規則では18才以上であれば娼妓登録可能であり、この点、国際条約の21才未満という規定に合致しませんでした。
そこで年齢に保留条件をつけて加入したいとする内務省と、国際的な対面を重んじ、国内法規を改正したいとする外務省との間で論争があったのですが、そのときの内務省警保局意見が公娼制度のたてまえを如実に物語っていますので、その外務省宛の回答の要旨を次に記します(川田文子「戦争と性」明石書店)。「満18歳以上の婦女で娼妓になる者は本人自ら警察官署に出頭し、娼妓となる事由、尊属親の承諾の事実、その他必要事項を記載する書面を提出して申請する。警察官署は、厳重、慎重な調査をし、その事情がやむを得ないと認められる者に限り、娼妓名簿に登録し、稼業を認める。
貸座敷営業者とのあいだに人身の自由を拘束する契約はなく、娼妓が廃業しようとする場合には本人自ら警察官署に出頭し、また、出頭できない場合には書面をもって登録の削除を申請すれば、警察官署はただちに名簿から削除する。何人といえどもこれを妨害することはできず、もしこれを妨害すれば内務省令で3カ月以下の懲役または百円以下の罰金に処する。その他娼妓の通信面接等の自由を妨害する者に対しても、省令で制度の規定を設けている・・・」この資料は外務省とのディベート用に作成されたので、娼妓は自由稼業であるというたてまえが強調され、実態を反映していないきらいはあるかも知れません。しかしながら、公娼はすくなくとも「制度上」は本人の自由意思が尊重され、国家がきっちり管理する登録制であることがわかります。
すなわち、公娼においては自由廃業の権利が認められている*1、のにその権利がないのが「従軍慰安婦」であるということです。
公娼制度の変種であるかのごときかたちをとっていた場合でも、従軍慰安婦たちは公娼制度のもとで認められていた廃業の自由や通信・面接の自由でさえ保障されない、まったくの無権利状態に置かれていたのであった。(もっとも、公娼制度における娼妓に認められた権利を過大視することはできない。この点で慰安婦を「売春婦型」と「性的奴隷型」にわける見解には同意できない。)しかし、多くの場合、料金を払うという形式をとったために、将兵はこの重大な人権侵害に気づくことが少なかった。
(p231『従軍慰安婦』吉見義明 岩波新書isbn:4004303842)
*1:現実には廃業が困難であることが少なくなかった
アジア人(植民地住民)差別について
2)
慰安婦問題を考えるに当たって、重要な二番目の点は、アジア人(植民地住民)差別である。
慰安婦たちはさまざまな出自の人が居ました。
A。日本人
B。朝鮮人、中国(台湾を含む)人、インアドネシアなど東南アジア、太平洋地域の女性
C。オランダ人など白人
Bの人たちに対する差別が問題です。これは90年代から現在までの“なかった派”*1(自由主義史観派?)の情動の基礎にもなっているので注目すべきです。
婦人・児童の売買禁止に関わる国際条約は当時四つあった。*2 日本は三つ批准。
日本も批准していた「醜業を行わしむる為の婦女売買取締に関する国際条約」(1910年)の1条と2条を見よう。
第一条 何人たるとを問わず他人の情欲を満足せしむる為、醜業を目的として、未成年の婦女を勧誘し、誘引し、又は拐去*3したる者は、本人の承諾を得たるときと雖(いえども)……罰せられるべし。
第二条 何人たるとを問わず他人の情欲を満足せしむる為、醜業を目的として、詐欺に依り、又は暴行、脅迫、権力濫用其の他一切の強制手段を以て、成年の婦女を勧誘し、誘引し、又は拐去したる者は、……罰せられるべし。
一条と二条はよく似ているので分かりにくいでしょうが、一条は未成年、二条は成年についての規定です。未成年の場合はどんな場合でも駄目ということですね。この条約では未成年とは二〇歳未満。1921年の国際条約では二一歳未満。日本政府は当初、未成年を満一八歳未満とする留保条件をつけて条約に加入していたが、27年にはこの留保条件を撤廃しています。
これだけみれば二一歳未満の慰安婦が居ればそれだけで国際法違反を指摘できるわけです。
ところがこの条約には重要な抜け道がありました。
この国際条約には、これを植民地などには適用しなくてもよいとの規定があった。植民地などに関して1910年条約は、実施するときは文書をもって通告すると定め(第11条)、1921年条約は、適用除外する場合は宣言することができる(第14条)としていた。日本政府はこの規定を利用して、この条約を朝鮮・台湾などには適用しないこととしたのである。つまり、明白にことなった取り扱いをおこなっていたのであった。
こうして、政府と軍は、朝鮮・台湾での女性の徴集には国際法上なにも制限がないとして、朝鮮と台湾を慰安婦の供給源としたのである。*4
私たちは国際法を頼りにしていたのですが国際法自体に大きな抜け穴があったのでした。*5
そもそもグローバルな国際関係というものは西欧人が彼らの武力と論理で作りあげたものです。そこには、西欧人には人権があるが非西欧人(アジア人など)にはない。乱暴にいえばそのような差別が(語られなくとも)(大いに)存在していたのです。
ここで問題は「日本人」という存在です。明治維新以来、日本人はアジア人でありながら自分たちだけは特別なんだとして西欧人なみの権利(力)を手に入れようとしいくつも戦争をしそれにほぼ成功してきました。
しかしわたしたちが最後におこなった戦争大東亜戦争はどうだったのでしょうか。大東亜の大義とは、「西欧人には人権があるが非西欧人(アジア人など)にはない」という常識自体を転覆し新しい世界を作るという宣言であったはずです。*6
この論理から言えば、どちらかを差別しなければならないとすれば、むしろ中国・朝鮮人ではなくオランダ人、アメリカ人であったはずです。しかし日本人がやったことは反対でした。自国民である日本人だけでなく、国際法違反という声を恐れてオランダ人に対しても一定の遠慮は見せました。しかし「アジア人」に対しては蹂躙しほうだいといった状態でした。
そして戦後、BC級戦犯が裁かれそのときオランダ人慰安婦に対する犯罪も(一部)裁かれたのです。ところがそのときアジア人慰安婦は(戦勝国民だった場合もあるのに)誰からも救済されずに、ひどい場合は異国に連れ去られたまま放置されました。
何十年も声を挙げることができなかった被害者たちは、1990年代始めころからやっと声を挙げ始めました。その背景には、フェミニズムの国際的浸透や韓国・中国・台湾の急速な国力増大があったのでしょう。
それに対する反動として、なかった派の諸君が登場したというわけですね。
で短期間に首相まで出してしまった。ふむ。
それにしても、「西欧人には人権があるが非西欧人にはない」という最初からあった人種差別問題に彼らはどうこたえるのでしょうか?
「人権はすべての人(民族を問わない)」と答えるのが当たり前だと思われます、私には。そして地球上の多数派である非西欧人のほとんどもそうおもうでしょう。
「日本軍の慰安所政策について」
京都大学大学院文学研究科現代史学専修の永井 和さんの
「日本軍の慰安所政策について」http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html 日本軍の慰安所政策について
をよみました。
とても面白かったのでお勧めします。
あとでちょっと紹介したいと思います。
リンクいただきました。
http://tech.heteml.jp/2007/03/la.html
Let's Blow! 毒吐き@てっく: 陛下に謝罪を求めるLAタイムズ
天皇主義者へ二つの質問
1)〈皇祖皇宗〉というカテゴリーを認めますか?
(上の答えがYesだった場合)
2)〈皇祖皇宗〉は敗戦後の裕仁天皇の非退位を許さない。と考えるものですが如何でしょう?
参考:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051109#p1