松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

中国人が日本人を見る

http://homepage3.nifty.com/gentree/tayori/tayori228.html 黄土高原だよりNo.228
 その長老が、私の顔を、
 まっ正面から、のぞきこんでくるんですよ。
 だんだん、顔を近づけてくる。
 そして、ポツリ。
 「変わった。
 たしかに、変わった。
 昔の日本人じゃない」。

http://homepage3.nifty.com/gentree/
「緑の地球ネットワーク」という、中国山西省大同市の黄土高原で緑化協力をつづけているNGOのサイトからほんの少しだけ引用する。
このあたりの農村の中国人にとって日本人(リーベンレンかな)とはかって見た日本軍のことである。かっての日本軍(たいてい貧しい農村の出身)と現在の我々とでは、食べている物も違うし生活意識も全く違う。したがって顔つきだって違ってくるだろう。それなのに「日本」というたった二字に頭を犯されて、現実の中国人(あるいは過去の中国人)とまっすぐに向きあう気のない人々(なかった派など)は、彼らの好きな「国益」に照らしても有害であろう。

著作権/引用について

 現在日本にあるすべての法律を尊重しなければならないものでもなかろう。公共の福祉に反しないかぎり自己の幸福を追求していいのだから。後は他者の権利との調節の問題(司法の領域)だ。国家といえども多くの場合、私と対等な権利主体にすぎない。*1著作権」というものの理解については当然、著作権者(「持てる者」)と利用者との利害対立を反映し、解釈にも相違が出るだろう。シェアウエアなどの作者は弱い立場でお願いしているだけだし、しかるべき金額は払うべきだと思う(ズルしてることもあり、スンマセン)。ただ「大企業である=著作権者」の利益など特に尊重する必要もないのでは。ハリウッドや日本の音楽産業などのコンテンツに興味がないからでもあるが。難しい問題なのでこれはとりあえずのメモ。
下記に、分かりやすい入門とリンクがある。(最初、リンクだけしとこうと思ったがまとまらない思いを上に書きました。)
http://d.hatena.ne.jp/katawa/20041113#1100358461 はてなダイアリー - この平坦な戦場で生きのばす為に

*1:日本の司法はちゃんと機能しているのか?という問題になるが。

自然権/公共の福祉

「公共の福祉に反しないかぎり自己の幸福を追求していいのだから」と書きましたが、「公共の福祉」とは魔法の言葉でいくらでも悪用が可能なんだ、ということは広く知られている。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20040430#p1
自分自身(あるいは組織)の安全を確保し、幸福追求のための自然権を保持するということは、自然人の根本的な権利であって、国家というものは、この自然権を保障する目的のために成立する機構(手段)であるというのが近代の建前です。

ということを再度確認しておきたい。
そして自然権のうちでも、わたしたち個々の人間の身体や精神、希望などを破壊することが最も強く否定されなければならないだろう。身近な感覚ですぐに理解できない巨大企業や国家の利益は、例え権利があろうと、<柔らかいもの=ひとりの人>の権利に劣後すると理解していいのだと思う。

憲法13条

swan_slab 『こんにちは、のはらさん。
憲法13条というはてなキーワード(未完成)は私が著作権法32条などおかまいなしに憲法学者の見解を列挙しているのですが、私のスタンスはばりばりに長谷部説よりです。松井茂記教授の説も掲載する予定です。長谷部氏と松井氏のスタンスはわりと対照的で、自然権ないし切り札としての人権を認めるリベラルデモクラシーとデモクラティックプロセスに絶対的なまでの信頼をおき、すべての自由は民主主義に開かれているとして憲法は実体的な価値について語るべきではないという立場の違いがあります。大雑把に言うと。』

スワンさんからコメントいただいた。どうもありがとう。「キーワード憲法13条」読みました。憲法13条というのはある裁判に関わったとき聞いたことはありました。(ていうか法学部出身のくせにそれまで知らなかったのか。)後者の説についても興味がありますね。補充されるとのことで期待しています。
・・・じつは、今日は朝からスワンさんとの過去のやりとりを振り返り続きを書こうとしていたのでした・・・

ディスコミュニケーション

えーとid:noharra:20041024で、id:swan_slab:20041020の一部を引用し感想を書いた。すぐにスワンさんからコメント欄に応答があり、こちらも応答。しばらくしてまたスワンさんから応答があった。ですがそれを放置したままになっていて、すみませんでした。
 だいたい、「わたしの文章は断言的、批判的、攻撃的なきらいが多分にあるようです。(できれば)どうかご容赦ください。』であるわけですが、その割に手当たり次第に引用、あるいは批判などをし回って、尻も拭けない状態で皆さまにご迷惑をお掛けしているわけでございます。 ・・・
 論点に直接切り込もうとする意欲はあると言えば聞こえは良いが、他人の日記の引用をしつつ行うときは、その方とのコミュニケーションという側面にも考慮しつつ行わないと、いけない。 ・・・

 さて、日数が少し経っただけで何を書いていたのか忘れてしまったので、まず論点を復習しておきましょう。

  1. id:noharra:20041013に書いたように、南京大虐殺を語ることが、「大東亜戦争従軍の将兵、遺族さらには日本国及び国民の誇りに傷をつけ、辱めさせた」ことになるとする、「なかった派」が社会的影響力を行使した。
  2. 「私たちが、先祖との連続性を回復し、先祖をステロタイプな殺人鬼にしないためには、自虐史観排斥みたいな運動傾向にならざるをえないのかもしれず、」id:swan_slab:20041020より
  3. 「戦争はいけなかった」「戦争は悪だ」という叫びは、実は当事者の現実を封印するという方向にも働いたのだ。加害者は「当事者の現実の封印」に加担した。ある意味では右も左も封印に加担したのだ。そのことにより、特別に学ぶ努力をしない人の場合、非常に薄っぺらな当事者像しか手に入らないことになった。id:noharra:20041023#p1(野原)
  4. アジア諸国との関係で】日本人は加害者だ。(スワン)
  5. 歴史的判決というべき04年10月15日に、水俣病を語るブログや2chの言論が閑散としていた状況は、そうしたジレンマから私たちの意識が完全に自由であったことを意味するだろう。(スワン)id:swan_slab:20041020より
  6. イスラエルが悪い」と思うのは簡単でも、言うのは簡単ではない、ということのようだ。それと同じように「チッソが悪い」、と言うのは実は簡単ではないのではないか。*1「私たちもまた、加害性を抱えながら果実を手にしてきた。」黙っている人たちは発言すればジレンマに向きあわなければならないことを(どこかで瞬時に)察知したからこそ黙っているのではないか。(野原)id:noharra:20041023#p3
  7. 私のイメージでは、糾弾する→ゆえにコミュニケーションが切断される、ではなくて、ディスコミュニケーションゆえにステロタイプな殺人鬼像が量産される、というイメージです。(スワン)
  8. 糾弾することで切断されるというよりは、むしろガチンコでやりあえばコミュニケーションが生まれてくる可能性は少しはあると感じています。(スワン)

とざっと振り返ってみましたが、二人の発言はかなりすれ違っています。ですからこれはこれとして、再度新しい論点が出てくれば、・・・ということにしましょう。

*1:上記「言う」は「いう」になっていたが訂正。