松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

2005-09-25から1日間の記事一覧

私は高慢たりえない?

とここまで書くとまた新たな疑問が湧いてきた。 (1)金比羅は高慢である。また長編小説作家はその限りにおいて全能なので当然高慢である。ということは一般人は高慢たりえないということであろう。 ところが、「3.ふふんふふーん」の場合はどうか。この場…

「けっ」でしかない私

(p15) なぜ、あるはずのないそんな灯を見るのか、それは当人が助かりたいと思っているから。 普遍的私の普遍的運命、それは結局自分だけでもうまい事して助かりたいという、個別の自我を核とした普遍的希望により選び取られるのだった。そしてそういう発生…

ふふんふふーん・2

ところで『金比羅』図書館で借りて、もう2週間はとっくに過ぎているので明日は返さないといけない。もう少し引用しておこう。 小説冒頭部分でこの擬音語でも擬態語でもない奇妙な「ふふんふふーん」系の言葉(文字列)は次のところに集中して現れる。 (p11…

わたし/ナルシズム

−−私は偶然に助かったんです。運がいいわけでもない。誰のおかげでもない、ふふんふふーん、私は科学の子だ。ふんふんふんっ。 というような人がいるかもしれません・あーあ、ねーえ。*1 の「ふふんふふーん」「ふんふんふんっ」って一体何なんだ。わたしは…

おばさん/金比羅

おばさん、といえば金井美恵子ですね。『おばさんのディスクール』という本を書いたとき、彼女はおばさんと呼ばれておかしくない年齢だったのに、自己=おばさんという規定から自分は先験的に逃れている存在だと思っていて、恥をかいたのでした。まあ彼女は…