松下昇への接近

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変わる中国

変わる中国 「草の根」の現場を訪ねて

変わる中国 「草の根」の現場を訪ねて


(感想)
2012.11.5に麻生晴一郎は、安徽省合肥市などに行くため、「未知の人との出会いに期待と不安を抱きながら成田発北京行きの全日空機に乗り込んだ。」

「変わる中国」という本の本文はp190のこの行で、終わっている。一冊の本が始まるのに相応しいような文章なのに、何故だろうか。実は、この後ろに「おわりに」と「あとがき」が計8頁あり、その後の出来事などを書いている。


飛行機は無事北京に着くのだが、麻生氏一人は入国拒否される。年に4回以上中国に行くことを習慣にしている麻生氏も、突然の出来事にびっくりしてしまう。翌年4.4今度は香港から陸路で深圳に入ろうとして、再度拒否される。


何故だろうか?「人権派弁護士や民主派知識人との交流」が理由だろうか?そうした交流のある他の日本人は入国拒否されていない。
「ぼく自身は入国拒否の理由は草の根の活動に関わりすぎたことではないかと考えている。」と麻生氏は書く。*1
「世間にはもっと強烈に中国の醜い現実を書いたルポや、より徹底的に中国をバッシングする評論がある。」中国バッシング本(いわゆる嫌中本)は基本的に国家対立の枠組みで世界を染め上げようとするもので、その思想においては中国当局と変わりないし、軍備増強の口実にすらなるとすれば、中国の強硬派を利している可能性すらあるわけだ。


中国社会の矛盾は深まっている。言い換えれば「政府と草の根の距離」は広がりつつある。「政府を乗りこえて社会に働きかける草の根の活動」が強力になり、政府からの自立を獲得するようになると、現在の中国政治のあり方は破壊されてしまう。そのことに対する恐怖が麻生氏の入国拒否をもたらしたのではないか、と推測できる。

それにしても、中国の草の根を主題にするライターに取って、入国拒否は糧道を断たれるに等しい。(ここで書いてもしかたないが)中国政府に抗議しておく。


ただ、ここまで書いても「草の根」のイメージは読者には伝わらないだろう。日本で「草の根」、つまり地域社会を支えているのは、小学校のPTAや自治会、民生委員やそれにつながる市会議員などだ。政治的には自民党寄り、あるいは天皇制時代の隣組的なメンタリティをひきずっているとさえ評価されるかもしれない人々だ。こうした人々が*2、福祉予算が減る一方のなか辛うじてコミュニティの崩壊を食い止めていることをきちんと認識しなければいけない。
中国でも「草の根」は反体制であるわけではない。であるのになぜ、ここまで警戒されてしまうのだ。


中国では「社会」という領域が非常に未成熟である。あるいは「社会」の領域のなかに共産党が出張ってきていて社会をまるごと党の管理下におこうとしている。このような社会のなかに、日本や西欧にあるような市民運動、いやむしろ日本の自治会活動のような「草の根」運動を根付かせようとしているのが、この本で取り上げられている人々だ。


先日東京で講演を行った、孫君(スンチュン)氏たちのNPO「北京緑十字」のことを取り上げる。
「北京緑十字は本来は環境改善に取り組むNGOだった。多くの農村がゴミや農薬や工業汚染から環境が悪化し、主要産業のはずの農業が困難になり、ますます故郷離れが顕著になるといった悪循環に陥っている。」
「孫君(スンチュン)は北京郊外の農村で実験的に進めた取り組みをもとに環境改善プランを作りあげ、全国の村を回ってプランの採用を訴えた。」288番目にようやく関心を示してくれる村が現れたという。*3

簡単なことから始めようと、最初に村民との会合を持った際、彼は「ゴミをゴミ箱に捨てよう」と提案し、各世帯の周辺にゴミ箱を配置した。
しかし、この簡単なことが難しかった。ゴミをゴミ箱に捨てる意味が村民に伝われなかったのである。*4

ゴミ箱のゴミを村に一ヶ所あるゴミ置き場に持っていくシステム、また村のゴミ置き場からさらに処理施設に運搬し処理するシステムが存在しなかったのだった。

「しかし、それ以上に孫君に立ちはだかった壁は、村民が想像以上に村全体のことに関心を持たないことだった。」「どの家庭がどの作物を植え、どんな肥料や農薬を用い、誰に売るかをすべて現地政府が決めることも珍しくなく」という情況では、自尊自治という根底的な感覚自体が存在しなかった、というわけである。


孫君は悩み模索した。で、村民の最大の関心は家作りであることに気づく。それも大きく派手な家に憧れる。しかし農村らしいシンプルな家屋なら、村民の力を合わせれば自分たちの資産で建設可能であることを、孫君は皆に説明していく。彼の話に耳を傾ける村民が増えてきた。そのように村作りを進めるなかで、ゴミの回収システムを作っていこうとする意欲が村人に生まれていった。最後に鎮政府に再三足を運び、ゴミの運搬、処理のシステムを整えることができた。

ゴミをきちんとゴミ箱に捨てるとか、村人が村のことに関心を持つことなど、日本人には当たり前すぎて、かえってその大切さが見えにくい。だが堰河村のような内陸部のごく一般的な農村で必要なのはこの当たり前のことが当たり前になされることにほかならない。*5


〈当たり前〉というのがキーワードである。しかし〈当たり前〉を理解するのは難しい。わたしたちはそれぞれ自分の常識の上で生きているが、それは生きる前提であるのでそれについていちいち意識したりしない。異なった文化の中に生きると違いが見えてきて、そこで始めて自分が持っていた常識に気づくことができる。

3月11日に帰宅できずに東京駅の階段で一夜を過ごした人が多数いたが、中国人ネットユーザーには、帰れない人たちの大変さよりも、彼らが階段に座る際、意識的に一ヶ所だけを空けて、階段を上り下りする人用の通り道が自然に作られていたことが衝撃だったようだ。*6

たとえば、被災地で列を作って食事を受け取る人たちのマナーは個人の心がけや民族気質だけで生まれるものではない。マナーがマナーとして成立するためには、一人の心がけだけではダメで、ほぼ全員がマナーを守るという暗黙の了解が存在せねばならず、それが成り立つシステムのようなものが問われる。
(略)
全員がマナーを守ることは全員が社会に向き合っていることにほかならない。中国では従来、政治や社会のあらゆることを政府が取り仕切ってきたと再三述べた。人々を社会に向かわせ団結させたのは政府の号令だけであり、政府が何もいわなければまとまりずらかった。つまり政府の号令がなくとも全員がマナーを守るというのは市民社会が発達している状態であり、(略)*7


わたしたちがすでに獲得しているマナーや自治感覚について、中国にはないものだと過大に褒められると、逆に居心地が悪い思いもでてくる。
それらが行き過ぎて、つまり世間や空気を気にしすぎて不幸になっているといった面も、わたしたちには確実にあるからだ。


いずれにしろ、アヘン戦争以後、中国人も日本人も、西欧と自己との差異には敏感だったが、東洋人同士の本当の対話をあまり成立させることができなかった。
現在両国の間の往来は膨大であるが、その量ほどの相互理解はまだなかなかできていない。この本を読むことはその最良の入門になるだろう、と思う。
(3/15記)

梶谷懐氏による書評

http://honto.jp/netstore/pd-review_0626022380_191.html

先日、中国における「公民(市民)社会」の実現を訴え、官僚の資産公開などを要求する「新公民運動」の中心的な人物である許志永氏の公判が行われた。許氏は、2013年7月に公共秩序騒乱罪で検挙されたが、今回の公判に関しても極めて不十分な情報公開しか行われず、運動の支持者から批判の声が上がっている。
 このニュースは日本でも広く報道されたが、「新公民運動」とは具体的にどのようなものなのか、出稼ぎ労働者の子が教育を受ける権利を守る運動などを展開するとなぜ罪に問われるのか、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏のような「民主活動家」とはどのような関係にあるのか、十分な説明がされているとは言い難い。その辺の詳しい背景を知るために、この麻生さんの本は格好のガイドになる、と言っていい。
(後略)

最初の部分を引用する。
私にとって中国は巨大過ぎて、一冊の本を読んでも、中国の何処、何を論じているのか、ピンとこない困難がある。
そのような困惑に対して、「新公民運動」と「民主活動家」の違い、というのは的確な入り口だと思う。

*1:p193

*2:左翼の人が評価しないかもしれないが

*3:p58

*4:p59

*5:p61

*6:p173

*7:p177