松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

北朝鮮について語ること

CMLというメーリングリストで、ある方に次のようにメールした。
こちらにも転載しておきます。
http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-December/006920.html に対する返信です。

はじめまして。野原燐と申します。


>> 私の場合は他の理由ですが、31日でこのサイト投稿を終ることにしました。 北朝鮮に対して「天安」攻撃事件で線を引きましたので、ここへの投稿、後に誤解を受けたくないのでそうすることに決めました。

まあそうおっしゃらずに今後も気が向いたら投稿なさってください。

日本の左翼は、日本の支配体制が戦前から連続する国家主義を保持し、戦前からの切断としての民主主義の立場に明確には立たないことを批判しつづけてきました。その点は私も同意見なのです。しかし、それがひるがえって、北朝鮮の自国民に対する人権侵害を批判することに対する遠慮、あるいは北朝鮮の他の非行を批判することに対する遠慮に結びついている人たちが往々にしていらっしゃいます。そして朝鮮総連を中心とする勢力はそうした「良心的」左翼知識人の良心をくすぐり自分の有利なようにコントロールするテクニックを何十年もかけて洗練させてきました。
茶番はあくまで、「北朝鮮国内における民衆の実態は北朝鮮国家が隠しつづける以上知り得ない」という事実確認についてのアポリアに基づいていました。しかしいまや韓国には2万人規模の脱北者が存在し、その前提は崩れました。
茶番が持続しつづけるのは今後それほど長い間ではないのです。ですから私たちは、できるだけ感情的にならずに控えめな表現で、評価も批判も悪罵も気にせず、北朝鮮の底辺人民にできるだけ近づこうとする立場で、素直に、書きたいことを書けば良いと思います。

僭越ながら北朝鮮問題について、どのように自己をかえりみて、表現していけばよいのか、自問を混えて書かせていただきました。失礼しました。
野原燐 http://d.hatena.ne.jp/noharra