松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

映画 「嗚呼 満蒙開拓団」

羽田澄子監督*1の映画 「嗚呼 満蒙開拓団」を見た。
なかなか良い映画だった。
紹介ビデオ二つ。
http://www.youtube.com/watch?v=sP7eaXxhO8w
http://www.youtube.com/watch?v=ZUjzGhciUfU

 
日本政府の国策によって旧満州内蒙古に入植されられた日本移民は27万人といわれている。そのうち約8万が亡くなっている。

 現在の中国黒竜江省ハルビン市方正県は敗戦時、ソ連軍の侵攻(1945年8月9日)で慌ただしい逃亡を余儀なくされた北満各地の開拓団員(ほとんどが老幼婦女子)たちが、想像を絶する苦難の末にたどり着いた田舎町である。しかしここでも迫り来る寒さと飢えと疫病で同胞はばたばたと死んでいった。
http://hpcgi3.nifty.com/miida/sbbs/bbs/miida.cgi?mode=view&no=381

上記によると三波春夫は一時方正県の収容所にいたが、その後シベリアへ移送された、らしい。


本来住民を守るべき軍が先に逃げ、住民(特に農民=下層)(男性は根こそぎ動員され女性と子供ばかり)だけが置き去りにされた。この明白な事実に目をつぶり、今頃になっても軍隊が国民を守ってくれると信じている人は愚かだと思う。
特にひどいなと思ったのは、Prodigal_Sonさんも挙げておられる、
昭和20年5月に役所から無理に勧められて満州に渡った一家の話。敗色が濃いことは十分分かっていたはず。

なぜすすめたんだろう。おそらくは(これは今にいたっても同じことが行われているのだが)「そうしろと上に指示されていたから」なんだろうな…。
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20090620/1245461480

同意するしかない。


ところで、ここのコメント欄に、zames_maki氏が登場しこの映画を批判している。意外にも(失礼)興味深かったので紹介する。
批判点1は、「満蒙開拓団は日本の侵略の手段であり、当時開拓団員が「匪賊」と呼んだ人々は、実は日本政府により不当に土地を奪われた中国の農民だった。」そうした中国人との侵略という関係を無視する描き方に対する批判。
批判点2

 また映画は周恩来の「日本人の大部分は被害者であり悪いのは一部の軍人だ」を強調していると聞きますが、それは高度に政治的な発言であり歴史的にも間違いでしょう。そうした事を観客はどう受け取ったと思われますか?
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20090620/1245461480#c1246415792

映画が描いているように、一人の残留日本人女性松田ちゑさんの名前を覚えていて文革の時周恩来が救ってくれた、それは事実だったので確かに感動的な話だ。
「悪いのは一部の軍人だ」というのは、「軍国主義」を批判する勢力が日本国内で育つようにという目的のための言説ですね。「軍国主義」を本当に批判するためには、やはり自らの内にもある植民者根性をも否定していかなければならないというのは正論だと思います。
ただ現実は入り組んでおり、日本人/中国人、軍人/農民、満州南部の都市住民/田舎の開拓民とさまざまな立場の差異があり、戦後もすぐ引き上げられた/10年ほど後/20年ほど後/帰ってこないなど色々です。
羽田澄子監督は満州南部の都市住民だったからわりとすぐ帰ってこれた、一方田舎の開拓民たちは家族の半分をなくすような苦労をした。この大きな落差を監督はしっかり描こうとする問題意識をもっていたか、やはり甘さがあったのかもしれません。
道端に置き去りにされた赤子を拾ってきて慈しむ、それは普遍的な仁愛として讃えられるべきでしょう。ただ周恩来のことばに打たれ「日中友好」高唱するだけでは、何かに回収されているだけになる。結論から言えば、国家と国家の関係は政治的なものであり友好も利用するための言葉である、甘やかな言葉を信じてしまってはいけないのだ。(外交や内政にも哲学というべきものがあり周恩来のそれはなかなか優れたものだったのだ、という説は分かる。ただ私は周恩来の事はあまり知らないので、判断は留保したい。)


追記:参考
http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20090613#p5
映画「嗚呼満蒙開拓団」への日本社会の反応・映画評
http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20090706
満蒙開拓団の真実
http://pekin-media.jugem.jp/?eid=786
映画 「嗚呼 満蒙開拓団」 と趙喜晨さんが語る歴史

*1:この映画では「監督」ではなく「演出」と書いてある。