松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

劉曉波実刑11年を中国共産党中央党校の杜光教授らが厳しく糾弾

という長い記事が、日刊ベリタに載っている。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201001161020236

世界の普遍的価値の「中国モデル」というものは、存在しうるかという問いがある。つまり今まで、高度な資本主義化は言論の自由、法の支配などの高度な民主主義が伴わないと実現できないとされてきた。しかし中国では民主主義抜きで高度な資本主義を達成しているようだ。これが永続するなら「中国モデル」が存在しうることになる。
杜光教授はこう考える。
「しかし、政治の上で一党独裁を続け、政治の体制改革を拒んでいることも事実だ。こうした政治と経済とのアンバランス状態は長く続かない。現在の中国社会は危機だらけ。不測の事態がいつ起きても不思議はない。」「中国モデル」を否定する立場だ。
劉曉波とならぶ言論の自由への弾圧例があげられているのでここにも転記する。

  1. 譚作人は四川大地震の手抜き工事校舎について調査し、疑問を投げかけたことで当局より「国家政権転覆扇動罪」で昨年8月に裁判にかけられ、近いうちに判決を受ける。
  2. 江蘇省の南京師範大学の副教授で、中国新民党主席である郭泉は、「国家政権転覆罪」とされ、当局によって10年の実刑判決を受け、先日、江蘇省高等裁判所に上訴した。
  3. 人権派馮正虎は昨年4月に中国から日本へ行ったあと、8回にわたり帰国を拒否され、いまも成田空港で籠城を続けている。
  4. 昨年8月、当局は、成都の人権活動家で天網HPの主催者、黄蒅を「国家機密文書の不法所持」にあたるとして3年の実刑に処した。

(同上)

中国の過度に強大な国家権力は、社会の自発的な成長の空間を抑圧し、国家の政治の不足部分を補うメカニズムを生み出させないようにしている。国家が社会を治めるうえで漏れが生じたとき、社会が無秩序な状態になるのは必至である。

中国という広大な地域において無数の矛盾が存在しているが、国家はそれらすべてに対応することはできない。民間の力で不道理を指摘し正していくことを認めるべきだ、という意見。

彼が起草した「08憲章」は民間の1万人余りの愛国人士が発した政治体制改革の宣言であり、官民の融和、朝野の協力を呼びかけ、「中国社会の偉大な大変革をともに推進し、1日もはやく自由、民主、憲法政治の国を打ち立て、国民が100年余り絶えることなく求めてきた夢を実現する」ものであった。

08憲章に対する高い評価。

 「08憲章」が現れたことは決して偶然ではない。いま全面的かつ簡明に、民主、憲法政治、共和を実現する文書が出されたことは、時期がすでに熟していることを示す。「08憲章」はこの気運によって生まれた。「08憲章」の公開によって、改革、反改革の闘いは新しい山場に入った。

天安門以後の20年は決して無駄に時間が流れたわけでなく、経済発展に伴う海外との交流の拡大やインターネットによる自由な空気の流入などがあった。それらによって時はまさに、熟したのだ。
それに対して、逆に劉曉波を重刑に処すとは、

まさに本末転倒、なんとばかげたことか。


次に判決文に対する批判。

判決書があげた6編の文章で「捏造、誹謗」だという内容と、  「08憲章」中の「罪状」とするものは、歴史的な責任感を持つ一人の国民が権力者に対して行った判断と批評であり、社会の発展への展望を分析し期待したものにすぎない。国民ならば誰であっても政府の行いに批判を加えたり、自分の考えを言う権利を持っている。その見方に賛成しないからといって「捏造、誹謗した」と言うことはできない。

劉曉波の文章と「08憲章」の中のどこに他人を「扇動」する行為のことばがあるのか、どこに政府を破壊し、転覆することばがあるのか。判決書は「08憲章」が「現政権の転覆を扇動しようとした」と言っているが、まさに荒唐無稽だ。政治体制の改革は「現政権」が前から出している主張だ。「08憲章」はただ政治改革の目標の図を描いてみたにすぎず、なぜ「現政権の転覆を扇動」することになるのか。

憲法第125条は「人民裁判所が審理する案件は、法的規定による特別な状況がないかぎり、公開のもとに進行しなければならない」と定めている。しかし、23日の開廷では、公開審理と言いながら、実際は親族2人と弁護士2人の入廷しか許さず、傍聴席は関係のない私服警官ばかりで埋められ、最も入廷すべきだった劉曉波夫人の劉霞は自宅で監禁されていた。裁判所の外は警官がぎっしり取り巻き、傍聴を求める人を妨害し、さらには拘束したり殴打したりした。こうしたやり方は国内外にひどく悪い影響をおよぼした。まったくメンツをかなぐり捨てている。

憲法の規定を無視した非道。


ところで、15の西側諸国の外交使節が裁判所の現場に派遣され注視していることを表明した、ということがあったとのことだ。日本はこの15には入っていない。*1 
ところで、小沢一郎が、チベット問題あるいはウイグル問題で中国に意見を言うのは難しいことなのかもしれない。国際関係のデリケートな部分に参画することになってしまう。しかし普遍的人権問題として劉曉波問題、あるいは日本が迷惑を受けている問題としての馮正虎問題*2に言及することはできたはずだ。が、なされなかった。*3
人権問題の普遍性として大きく取り上げていれば、日本における自らの秘書逮捕においても、それを人権問題として論じる勢力を育てることにもつながったのに!

*1:もし違っていたら教えてください。

*2:馮正虎は小沢の本の中国語版出版に関わったのに

*3:もし違っていたら教えてください。