松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

民主主義とは〈わたしたち〉が討論によって

主権に到達するプロセスである。


わたしたちは戦後60年以上経ったのに、東京裁判の呪縛あるいは「東京裁判の呪縛」を主張してしまうという呪縛から抜け出すことができずに、イライラしている。
イライラするのは止めるべきだ。わたしたち、、と無自覚に書き始めるのを止めよう。
討論によって主権に到達するプロセスに参加するという決意において成立する〈わたしたち〉というものをまず成立させるべきなのだ。


女性国際戦犯法廷というものが、2000年に東京で開かれた。ひどく不十分なものであったという批判は多い。あるいは真の批判者はそれについて口を閉ざすことによって忘却を待つという戦略を取るがそれは成功している。
連合国による東京裁判にどんな批判があろうとも、個々の論点について膨大な証拠と双方の主張を60年後の現在も読むことができる形で形成したということは高く評価されるべきことである。
女性国際戦犯法廷は民間有志による手作りのものであり、規模・精度において連合国によるそれに匹敵すべくもない。しかしわたしたちの情況を上記のように確認するとき、どんなに無理があろうとも「法廷を成立させる」という決意を持ち、それを形にしたことは評価されるべきである。


 さて、わたしたちが会議を開くとき必ず行う儀式がある。議長団が参加者の一人を指名し参加人数が過半数を越えていることを確認することだ。普段はめんどうであり自明であるから省略可だとして行われていないことも多い「資格審査」とよばれる儀式だ。*1 しかし実際は会議というものはどんな場合でも成立させられるかどうかがより重要なことであり、結論は成立させたときすでに半ば先取りされていると言える。会議の中でも直接に権力を成立させようとするのが模擬法廷である。
女性国際戦犯法廷にわたしは参加しなかった。しかし閉塞情況が続いている以上、わたしたちは古書類をひっくりかえして「法廷」なるものに再度参加していこうとすることが試みられてよい。

実は4年前の
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050125 はそうした試みであったと再定義していくことができる。
1)『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』という本を図書館で借りた。
これは安部*2などがNHKに圧力を掛けたのがそのとき話題になっていたのに、肝心の「女性国際戦犯法廷」がどういうものなのかという報道が(それをさせないことが安部の目的だったためか)なかったので読んでみて紹介したいと思ったのだ。


2)この本の中心とも言えるのは、黄虎男検事による朴永心証人に対する尋問。*3*4
*5

3)黄虎男検事は朴永心さんに証言させたあと次のように言う。

 まず、日本政府は軍性奴隷制に関する真相を徹底的に調査し、全貌を公開しなければなりません。さきに申し上げたように、「慰安婦」の総数、国別人数、慰安所設置地域と慰安所の名称、その管理者、「慰安婦」の処理情況を含めて公開しなければならないと主張します。

 次に、日本政府は軍性奴隷制に対する法的責任を認め、すべての被害者に対して正式な謝罪をしなければなりません。この謝罪はただの言葉だけではなく、十分な賠償をともなう謝罪でなければなりませんし、また、ある招請された人物が適当な機会に一言一言ことばで述べるだけの謝罪ではなく、国会決議や政府声明、あるいは条約のような文書のかたちで記録され公けにされなければなりません。(後略)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050125#p3

これについて野原は、基本的に賛成すると書いている。


4)ここで検事の名前を確認する。

   鄭南用検事


尊敬する判事の皆さん。私は朝鮮民主主義人民共和国検事の鄭南用です。

これに対して、野原はこう書いた。

 多くの日本人はこの朝鮮民主主義人民共和国という形容詞を聞き、一斉に安堵し叫びはじめるだろう。

横田めぐみさん拉致*6」報道が嵐のように流され続けたのが何時だったのかいま確認できなかったが、それ以来北朝鮮という国名を聞いて国民の多く*7は特殊な反応をすることになった。安部のNHKへの介入があった4年前はそうした反応が最高潮に達した時であっただろうか。*8


安堵など誰も許しはしない。


ただ、
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090514#p1 で
「4)そしてなにより、人類史における最悪の人間虐待と糾弾されるべき政治犯収容所などの収容所の存在。これらの問題について、北人民共和国政府は<真相を徹底的に調査>をすべきであるし、<すべての被害者に対して正式な謝罪を>なすべきである。」こう書いた。
わたしはこの提起を、鄭南用検事、黄虎男検事という二人の検事に対する「資格審査」として再提起したい。


わたしは審問を受け入れるべきだろう。法廷を形成していくためには。

朴永心(パク・ヨンシム)さんは

2006.8.07になくなったようだ。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/28/  (なかった派系のブログだが引用豊富)
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/09/0609j0821-00001.htm
http://shogenkyoto.blog70.fc2.com/blog-entry-13.html
(5/23追記)

*

id:F1977 コメントしました。「日本人」は、「日本人」をやめる必要がなく、また「日本人」であることを ひきうける必要もない、ということが、つくづくわかりました。「責任阻却の論理」ですね。 2009/05/22

野原燐は「日本人としての「責任阻却の論理」」を唱えているという理解の仕方。
ふん。

*1:民主主義が失われた国日本で生きてこられた読者のなかには初めて聞いたという方さえいるかもしれない。

*2:いまでは元首相

*3:検事といってもこの裁判の被告は裕仁とか旧日本軍

*4:朴永心さんは次の写真で古くから有名。http://f.hatena.ne.jp/noharra/20070414141047 西野さんによる本もある。http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7503-1825-7.html

*5:朴永心というひとは非常に有名な人なのだが、もちろんブログを読んでいる人たちにはそうしたことを知らない人もいるわけでそれを説明する必要があったのでしょうが、ここでもそれはなされていない。

*6:1977年に拉致されたと言われる

*7:かどうか分からないが

*8:id:lmnopqrstuさんの「対話拒否」にわらわら支持が集まるのはおそらくこの「国民の多くvs「北朝鮮」」図式に野原を当てはめるからだろう