松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

40年ぶりに 像/飢餓 に出会った!

さてわたしは、あるところで  像/飢餓 に出会い、(40年ぶりに)
びっくりしてしまった。


〈私〉たちは、序章から踏み出したまま宙吊りにされており、飢えているが、この飢えは、遭難のような不慮の飢えにも、食糧難のような社会的飢えにも、ハンストのような政治的飢えにも似ていない。


もはやわたしたちは自分が「像」として結べた映像はすべて破壊しなければならない。
・・・かって「すべて破壊しなければならない」という命令は猛威を振るい、・・・「きみひとり/そこにとどまって、われわれにとっての視野となるべき/あかるみをそこでたもっていてください。*1」というかすなか声を残して消えていった。


その像は愛しくもなんともない。
永遠にはじまらない、あるいは永遠に終わらない幻想にとじこめられる だけで


得体のしれないシステムによって眼前にぶらさげられた、強いられた願望の像であるかもしれない
〈私〉たちのそれぞれが、飢えの感覚を山頂の感覚に重ね合わせるときの響きを、書こうとしても


そして、自らが結ぶことができた像に甘えてしまえば、自分が見たこともない途方のないものとの関わりを絶ってしまうことになる
だがこの飢えを耐えて生きることを、何ものかが〈私〉たちに強いるのである。 65


自らが像として自身に対して表象できるものなどなにほどのことでもない。
〈私〉たちをさまざまなピラミッドの稜線上で分裂させた何ものかの力学を、いま〈私〉たちが労働しているこの場所から可能な限り追跡し、ピラミッドを破壊すること、その方法を〈私〉たちがこれから出会う全ての敵対関係にむけて応用することしか残されていない。


わたしたち詩人は、自らがやすやすと像として結べないもの、不可視との約束を交わしたものであるはずだ。
どこにいようと時間を失った〈私〉たちは、沈黙してまどろんでいるうちにずり落ちてしまい、見知らぬ空間へはなればなれになった〈私〉たちをみつめ合う。


わたしたちは描写に値するものを覚悟を持って奪われた、だから描写はしないのだ。
・・・一つの表現を複数の主体で分割したためにもたらされた・・・

*1:瀬尾育生「伝言」 p8