松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

構造の産物である人間がその構造をのり超える

えーと、丸山圭三郎によればソシュールの最大のメッセージは次のようなものだとのこと。

 言語は人間が創造したものであるにも拘(かかわ)らず、個人にとっては外的事実性をもって経験され、自動的ともいえる仕方で個人を規制し、ほとんど無意識のうちに自己を拘束する〈文化的必然〉である。(略)今度はラングの本質に証明を当てる作業を通して、純粋な可能性のレヴェルから人間と社会との関係は、自然法則を越えた次元で、作り作られる弁証法を持つことを指摘した。換言すれば、ラングの本質は恣意的価値体系であることを確認することによって、構造の産物である人間が同時にその構造をのり超える方向を示唆したと言えるだろう。
 p152 丸山圭三郎ソシュールの思想」ISBN:4000012207 C0080

 この本は1981年に出て話題になった本。ただそれから27年。わたしは構造の産物にすぎないという認識は広く浸透したが、〈その構造をのり超える方向〉の模索という点では私たちが得た物は少ない。


 数千年前から私たちを拘束している言語どころか、たった2年前にはじまった共通テストとやらいうもののシニフィアン(数値)に対し、自ら進んでその奴隷になりにいこうとする救いようのない馬鹿であるのだから、わたしたちは。〈その構造をのり超える〉などということは夢のまた夢ですね。


ところで私は時枝誠記国語学原論」上isbn:9784003815014を読んでいました。ぐちゃぐちゃのレジュメのようなもの、見てもいいよ。
http://666999.info/test/toki/tokieda.html