松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

存在させようとする批評

ちょっと引用してみる。「存在させようとする批評」について。

 私は、一篇の作品、一冊の書物、1行の文章、一つの観念といったものに対して、それを判断するのではなく、存在させようとする批評といったものを思い描かずにはいられません。そうした批評は、火を点してまわり、草花が成長するのに瞳を注ぎ、風の音に耳を傾け、あわを手につかんで空中にとび散らせてくらるものです。判断をいくつもくだすのではなく、存在することのしるしを無数にわきたたせてくれるような批評。それは無数の存在のしるしに声をかけて、その眠りから呼びさましてくれるような批評なのです。ときに、存在のしるしを自分から作りだしてしまうようなことがあったとしても、それでいいのだと思います。断定的な批評というものには眠気を誘われる。私は、創造的なきらめきにみちた批評を好みます。それは読者に対する至上権を握った批評でも、命令を下す批評であってもならない。来るべき嵐の雷鳴のようなものをもたらるようなものであってほしいものです。

 これは私がネット掲載を試みている「概念集」の広告コピーでもありうるな、と思って引用してみた。


1980.4.6付けのル・モンドに載った匿名者へのインタビューより。