「権利とはありがたがるものである」という雰囲気(その2)
http://d.hatena.ne.jp/madashan/20080807/1218125829
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20080809#p1
http://d.hatena.ne.jp/madashan/20080813/1218647384
(二度目の応答になります)
>>改良か革命かみたいな話をした覚えはないけどな
というお返事をいただいたのだが、わたしも改良か革命かみたいな話をした覚えはないけど?
>>例の頭の悪いポエムを発表した頭の悪い子がいて、それに対してお花畑に住んでるのはお前だけだから余り人間様をなめるな的脅迫が加えられたっていう構図ですよね。今回のは話ってのは。
例の頭の悪いポエム=http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1 ですね。
余り人間様をなめるな的脅迫=http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080806/p1 なんですか??
>>書いてみたんだけど、いや、やっぱりか分かりません。
「で、別にそんなことに関わろうが関わるまいが」以下の18行、madashanさんは何を言いたいの?
>>俺が書いたことってのは、<正しさ>に関して限界とか包括的な全体像を予め用意して、個々の具体的な行為や主張をそこから推し量って判断するわけだけど、権利ってそもそもその権利者の利害関心を反映させるためにあるんじゃなかったかしら?大体、皆のためとか社会のためとかいうエクスキューズがないと行使できない権利ってどんな?みたいな話なんですが。
なるほど。
「正しい経営とか正当な対価」という言葉をだしたとたんに、そう発語する人は「人間的な市場経済とか公正な労使関係とか現実的で妥当なモデルの存在を肯定する」思想を持っているのだと、madashanさんからは判断される。「正しい経営とか正当な対価とか、」以下の四行をわたしはそう読みました。
たしかにそこまでは読めないかもしれないし、その(恣意性の入った)読み込みによって
「権利とは詐欺であるだってさ。バカちゃうか。バカなのは権利はなく「権利とはありがたがるものである」という雰囲気を助長しているお前を含むインテリだろ」と悪態をついたのはわたしが悪かった、と思います。
労働者たる当事者が自らの利害関心に基づき利用可能な手段を行使して、その目的を追求することは真っ当なふるまいですし、他人に一々釈明したり弁解したりする筋合いなど少しもないと思います。(略)
それが規範化を生むとか、あるいは既得権を作りだすとか、従って選別と排除が行わるとか、組合それ自体が特殊利害を持って組合員個人を搾取するとか、そうした理屈の問題は成程現実のものとなれば理非を問わずには済まないでしょうが、いずれにせよ歴史的に勝ち取られてきた諸々の権利としての/事実としての諸々の待遇や権益があり、あるいはそれを可能たらしめるための集団的制度的枠組みがあり、利用可能で有効な道具立てがそこにある以上はそれを使用して自己の利益を確保するのは自明な行為であるでしょうし、それについて一々予め正しさを云々する方が奇妙です。
なるほど。わたしも同意見です。
問題、あるいは異議は以下の点にしかありません。すなわち、労働の対価が「正当」であるかどうかを判断するのは当事者たちであり、またその価値を共有したり共感したり連帯したりする友人や隣人や赤の他人たちであり、予め定められたところの正しさであるとか、一般的かつ普遍的な正当性とか、あるいは既にあると考えられた全体=社会の利益とかいったものを前提として持ち出すことは必然的に当事者をオミットしていることになりますし、権利を行使するのは常に個々の集団や個人であるのに何時も全体を優先させるのであれば、一体<権利>とやらを真面目に捉える必要がありますか。そんなものは当事者たちが守らなければならないものでもないし、彼らの行動を彼ら自身が決めるにあたって考慮すべき事柄でもないだろうし、ましてや道義的必然であるかのように押し付けられる筋合いはありません。
そのときに、労働者としての権利であるとか正当な対価であるとか、の言説を行使することについて、考え方の違いがすこしあるようですね。
「予め定められたところの正しさであるとか、一般的かつ普遍的な正当性とか、あるいは既にあると考えられた全体=社会の利益とかいったものを前提として持ち出すことは必然的に当事者をオミットしていることになりますし、」とそこまで言いきれるのか。はてなは議論の場所であり、それが議論である限り一般的かつ普遍的な正当性とかいうものを引き合いにだしてくるとしたも当たり前のことにすぎないでしょう? *1
*1:「既にあると考えられた全体=社会の利益とかいったものを前提として」考えることの危険性に注意すべきだという点はおっしゃるとおりだと思います。