松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ネグリ来日中止!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

わたしの予定には、アントニオ・ネグリ講演 「知識労働プレカリアート」 司会 王寺賢太/コメンテーター 市田良彦 日時 2008年3月25日(火)6:00 pm-8:30 pm 場所 京都大学創立100周年記念ホール と書いてあったし。
東京では次のように、明後日も講演が予定されていたようですが、
http://www.negritokyo.org/todai/negri-at-toudai/%e7%ac%ac6%e5%9b%9e%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%8f%e3%82%a6%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%a2%e3%82%ab%e3%83%87%e3%83%9f%e3%83%bc%ef%bc%8f%e7%89%9b%e5%a0%b4%e8%a8%98%e5%bf%b5%e3%83%95%e3%82%a7%e3%83%ad%e3%83%bc/
なんと中止!!??

すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。
http://www.rll.jp/hood/text/intellipunk/20080320143211.php

世界でもっとも言論の自由のない国!(北朝鮮の隣だしね)


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戦後冷戦期の二極に分断された世界構造の中で、欧米の傑出した社会派知識人(Public Intellectual)の多くが、よりよき社会のオルターナティヴを模索しながら、その役割や責務を論じてきました。21世紀ポスト冷戦期の複雑化した現代世界において、知識人はどんな疑問を投げかけるのでしょうか。“帝国”と“マルチチュード”の時代において、果たして<知識人>なる存在が、可能なのでしょうか。アントニオ・ネグリ氏が問い掛けます。(同上)