松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

小泉文夫の集めた音源集(試聴可能)

いやーすごいものを見つけてしまった!


http://www.geidai.ac.jp/labs/koizumi/opentape2/index.htm
小泉が収集した膨大な音源のうち、選び抜かれたものが967レコードも試聴可能な形で公開されている。
1曲40分以上のものが多いみたなので、全部聞くとかなり長い時間になる!
私は若いころ、NHKFMで水曜午後7時台にやっていた小泉の番組のファンだったのだ。それがまた聞けると思うと感激! である。

ところで、ここを知ったのは、
http://d.hatena.ne.jp/monodoi/20070911
http://d.hatena.ne.jp/smasuda/20070911
という記事から

目下、東京芸術大学小泉文夫記念資料室(以下、小泉資料室)の管理体制を経済的な理由から変更しようとしています。そして、小泉文夫が収集した資料が分散されようとしています。(略)
世の中での小泉資料室への関心を高め、こうした改悪をやめさせるべく、皆様の意思表示やお力添えを頂けますよう、よろしくお願い致します。さらに、お知り合いへ回覧して頂けると幸いです。

上記の http://www.geidai.ac.jp/labs/koizumi/ で紹介されている小泉文夫記念資料室を「経済的理由から」縮小分散しようとしているらしい。

 小泉文夫は、音楽評論家や学者の枠をはるかに超えた、ひとが音楽とともに生きるとはどういうことなのかなどいった問いを深いレベルから考え表現し、そしてそれをまた大衆に共有できる形で提供できるまれな資質まで持っていた方でした。
東京芸術大学はたんにその学校に所属する学生だけでなく、市民にも芸術のよろこびを惜しみなく分けあたえる使命を持っているのではないでしょうか。
東京芸術大学小泉文夫記念資料室を維持発展させるだけの器量を持っていないのなら、インターネットなどで広く呼びかけることで、本当に市民に開かれた資料室に生まれ変わらせることも決して不可能ではないとは思います。
 音楽が芸術として研究対象になってしまうとき、その命を失ってしまう。大学には知が集積されているかもしれないがそれは干からびた死んだ知にすぎない。そのような知と生きることの切断を楽楽と飛び越えた奇跡として、小泉の生はあった。小泉の遺物に触れることで、わたしたちはいつでもそのような奇跡の気配を思い出すことができるのだ。*1

*1:ラジオを聞き本を数冊読んだだけで一面識もない私のようなひとが、数十年後これだけ高揚した文章を書く。小泉が偉大だった証拠。