松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

国家権威に偏った国家主義的民族教育を越えて

  振り返れば、在日同胞にとっての民族教育は、本国の南北いずれかの国家権威に偏った国家主義的民族教育でありました。ために、せっかく習った母国語でさえも 同族融和の言葉としては働かず、むしろ対立をかき立てる分別の言葉として居座ってきました。

  歴史の勉強にしても、分断対立の本国ではとうてい相容れない、絶対矛盾の体系で教えられてきたのが、従来の民族教育でありました。それに民族学校は就学総生徒数の二割にも満たない、少数の同胞の子どもたちをもって「民族教育」と銘打ってきましたし、絶対多数の同胞の子どもたちは、日本の学校で、在日の独自性も民族の意識も顧みられないまま、日本の子どもたちと“平等”に扱われて、日本への同化に事もなく馴染んできました。

  その間にも在日同胞社会は年を追って多様化してきています。国籍ひとつを取ってみても、韓国籍朝鮮籍日本国籍二重国籍等に分化し、さらには中国籍の同族も目立ってきています。このようにも多様に重層化している在日同胞の存在性は、もはや南北の本国と在日同胞という単一な関係で図れるものできなくなってきており、不可分に、東北アジア的視野を持って、日本で生きていく意味と展望を見出さねばならない必然に迫られています。

  在日同胞の持つ文化的、血縁的な異種混合性、さらには世界各地に散らばって暮らす離郷性(ディアスポラ)を併せ持っている在日コリアンこそ、南北の祖国と今もって歴史的清算を遂げずにいる日本との接合点的存在であり、ひいては東北アジアと日本をつなぐ共生の生きた架け橋ともなれる私たちです。
  私たちが企図しているコリア国際学園(KIS)は、まさしく複数の国家・境界をまたいで活躍できる在日世代を育成することであり、その理念に賛同する人たちなら、いかようの人たちの就学も可能な国際学園です。

 広いご理解とご鞭撻のほど、心より望んでやみません。
                                             金時鐘
http://www.kis-korea.org/greet.html
KIS:コリア国際学園/金時鐘委員長挨拶

 わたしは日本人である。しかしこの文章の含意は何か? 靖国肯定〜慰安婦否定といった虚偽意識(イデオロギー)と「日本人であること」は幾分か繋がっている。
 わたしは日本人である前に、在日である。「わたしは朝鮮〜韓国人である前に、在日である。」と30年以上前に金時鐘は、初めて喝破した。わたしたちはその断言に学ぶことができる。
 在日であることは民族を捨てることではない。かえって逆説的な形でしか現れないわたしの血を再確認するである。
 (例えば、わたしが日本人であるのは、例えば親房や篤胤を非イデオロギー的に読み愛する限りにおいてだ。と野原はむしろ言いたい。)