松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

リラ・フィリピナの女性たちからの招待

LABAN! Fight for Comfort Womenより

2007年3月7日
国際女性の日の晩
安倍晋三内閣総理大臣への招待

安倍首相殿、

私達はまだ面識がありませんが、安倍首相にリラ・フィリピナの女性達に会っていただきたくご招待申し上げます。2007年3月2日首相は、「強制だったことを証明する証拠はない。第二次世界大戦下での軍による性奴隷が強制だったことを裏付けるものは何もない」とおっしゃられました。私は1998年から現在に至まで生存中のフィリピンの従軍慰安婦から情報を集めています。どうか、マニラのクエゾン市にある小さなコテージ、ロラス・ハウスにお越し下さい。そこには、元慰安婦達が集まり、首相が強制だったことを証明するのに必要な証拠があります。

もし、そこに81歳のピラー・フリアスがいたら、1942年に彼女が拉致される前に日本人の兵士達と2つの乱闘があったことを語るでしょう。最初の乱闘では、兵士達が彼女を取り囲んで日本語で叫びました。混乱したピラーは反応しませんでした。いらついた兵士が吸いかけのタバコをこの女性の顔に押し付けて、肌に火傷の痕を残しました。彼女が泣き叫ぶと、その兵士は怒って今度は彼女の鼻をナイフで切りつけました。彼女の顔から血が飛び散って彼女が泣くと彼女の髪の毛を鷲掴みにして、バケツの水の中に彼女の頭を深く突っ込みました。その水は真っ赤に染まりました。兵隊達は彼女の家族の牛やにわとりや豚などの家畜を盗んだ上に、お米や乾燥食品も奪っていきました。2度目の乱闘では、彼女は違う兵士達に5度もレイプされました。17歳で流血している彼女の腰をロープで縛って他の3人の女性達と共にフィリピンのゲリラ部隊を射撃する時に同行させられました。頑丈な麻のロープで一緒にしばられて、4人の少女達は毎晩レイプされました。毎回違う兵士達に一晩に5回レイプされました。

もし、彼女の言葉だけでは十分な証拠にならないとおっしゃるのなら、総理の手を貸して下さい。女性達が話をするのを相手が聞いていると信頼できるとき、女性達は相手の手をとって彼女の傷跡にさわらせるでしょう。ピラー・フリアスの鼻は幅が広くて平らですが、傷痕がその鼻一面に広がっています。指をその傷痕にそって走らせると実際、兵士がピラーを切りつけたところがわかります。指を彼女の腰に走らせると、3人の女性と一緒にロープでしばられて森に引きずられ、毎晩レイプされたときにできた傷痕を確認できるしょう。

これでもまだ強制の証拠と言えませんか?

1993年からリラ・フィリピーナの女性達は彼女の家族をろうばいさせてきました。通りを行進して彼女達の身体と心と残された人生に刻まれた犯罪を認知した人の署名集めをしているからです。彼女らは日本まで行って性的虐待の個人的ないきさつを伝えるために日本の裁判所に出廷しました。これは簡単なことではありません。このような経験から来る恥の文化を理解していれば、又、クエゾン市のこの家の存在やマニラの日本大使館の正門や日本の裁判所が十分な証拠だということがわかるでしょう。

彼女らは80代で死が近づいています。もし彼女らが死に絶えてしまえば、戦争犯罪は決して起こらなかったふりをするのは、もっと簡単になるでしょう。でも、ピラー・フリアスのように女性達には多くの友や支援者がいます。みんな過去に彼女らに何が起こったか知っています。みんな彼女らの傷跡に触れ、彼女らの生活に及ぼした旧日本軍の影響を確認しました。

知っている人はたくさんいます。彼女らの経験を記録している人々や彼女ら自身はこのような暴行が再びどこかの娘さんや従姉妹や子供に起こるのを防止するために闘っています。

この夏、私が始めた仕事を片付けるためにリラのロラスを訪問する予定です。安倍首相、そこで私に会って下さい。私たちと一緒に座って下さい。私たちの話を聞いて、それでも、慰安婦達の人生は何の価値もなかった。身体にきざまれた、心に深く傷を残した傷痕が彼女らの人生に影響を与えたことはあなたにとって何の価値もないと判断されるでしょうか。もし、そう判断されたなら、そのときは、強制の証拠がなかったと主張して下さい。

敬具

マイアミ大学英語学部助教
M. エヴリナ ギャラン
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-date-20070319.html

カナダで日本語、美爾依さんのブログより。