松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ツッコミのクオリティ

>言ってることが間違っててしかもその間違った意見で何かを批判したりすれば、ツッコミが多数入るのは当然。
http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20070110/p11

言ってることが間違っててしかもその間違った意見で何かを批判したりすれば、反批判が多数入るのは当然。と言い直せばこれは正しい意見だ。
しかし実際には、“ツッコミ”とは“批判(又は反批判)”は違ったもののようだ。
ツッコミとは例えば下記のようなものだ。
(1)

「卒業式をぶちこわしにする」上で大変参考になります。
http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20070222/p6

(2)

noharra のはてダ駐留は不正と災厄を生産し続けている、が丁重管理人の主張です。
http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061224/p12#c

(1)では、
路上でビラ撒きをすることが「卒業式をぶちこわしにする」ことになるのかどうか?が論点であろう。
しかし、myhoney0079氏は卒業式については論じない。彼は(野原の)「言ってることが間違って」いると感じたその感じ方を、パフォーマティブに確認する。読者は理屈抜きに提示されたその感じ方を(喜んであるいは結局のところ少しは)受け入れる。この場合は「卒業式をぶちこわしにする」という極悪なイメージを提示し、路上でビラ撒きをすることと結びつけることによりイメージ戦略はつねにいかほどか成功する。
>>>言ってることが間違っててしかもその間違った意見で何かを批判したりすれば、ツッコミが多数入るのは当然。
は、議論の仕方について述べた文章ではない。
タブーに支配された言説空間を、維持し強化するための方法論である。