松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

悪。

本来、私たちが存在すること、存在を媒介せざるを得ないこと自体が、何らかの、または、何かへのゆらめき〜逸脱〜偏差といえるのではないか。錯綜した現在の生命系の存在や行為の偏差をとく前に、このような〈原〉偏差〈が/を〉つくりだす力を把握したい。
松下昇 p8 時の楔〈への/からの〉通信 〜1987年9月〜

わたしやわたしたちというものを、ゆらめき〜逸脱〜偏差なしの同一性として考え表象してしまう文体は、その文体のうえでは常に勝利し続ける。わたしやわたしたちが他者と関わり他者を抑圧することがあってもそのような思考は抑圧をうまく捉えることができない。すなわち、そのような思考は絶えず「悪」を生みだし続けることになる。