松下昇への接近

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「南京大虐殺について補足しておく。」権利について

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050724
のコメント欄に、rajimaniaさんが2006.9/10にコメントしてくださった。
以後、いまのところ10/7現在まで「応答」が続いています。
見やすいようにこちらに再掲します。

# rajimania 『 南京大虐殺について補足しておく。確かに、南京陥落後に、大規模な虐殺があったことは疑いの余地はない。だが、北京政府が発表する30万という数は嘘だ。なぜなら、日本人の学者で、30万人虐殺説を採る人はいないからだ。

 笠原十九司教授・・・20万人程度の虐殺があったと主張。

 吉田裕教授・・・10数万人程度の虐殺があったと主張。』 (2006/09/10 14:44)

# noharra 『えーとすみません。上記「戦争をもう一度したいのだったら」、という修辞は何を言っているのかとわけが分からなかったかもしれません。国民国家なら軍隊は必須という理屈を一旦認めたとして、常備軍を持ちたいのなら「今度は「南京大虐殺」と「沖縄における住民虐殺(あるいは結果としての虐殺)」みたいなことは一切しません」と国民に納得させるべきだ、と言っているのです。
笠原十九司教授・・・20万人程度の虐殺があったと主張。
吉田裕教授・・・10数万人程度の虐殺があったと主張。何が問題なのかrajimaniaはどう捉えて居られるのでしょうか?
戦争で戦死者が出るのはしかたがない。しかし例えば現在のイラクの如き米軍の支配下で米軍が民間人(あるいはそれに類する人)を1万人も殺したらそれは絶対的に糾弾されるべきではないでしょうか。
南京の場合は確かに戦争状態の直後ではありますが、兵器を持っていないことが明らかな中国人を1万人以上殺したのではないですか。であれば上記の基準により絶対的に糾弾されるべき、となります。』 (2006/09/10 22:41)

# rajimania 『 中国人を1万人以上殺したことが糾弾されるべきなのはわかりきったことであって、なにもそのことは否定していない。ただ、南京大虐殺について、補足意見を述べただけだ。私は南京学会の発行する雑誌を読んだことがあるが、大虐殺というのは、笠原教授の主張するような20万人以上の虐殺を指していて、それ以下の数の虐殺については、ただ単に虐殺と言っていた。虐殺された人の数が一万人程度である可能性もあるなら、大虐殺という言葉を用いるべきではない。』 (2006/09/14 17:45)

# noharra 『南京問題について【大虐殺という言葉を用いるべきではないかどうか?】という論点、沖縄大量「自決」では【軍命令が合ったかどうか?】という論点、についてだけ大声で主張しなければならない根拠はありません。』 (2006/09/14 19:42)

# rajimania 『 大虐殺:20万人以上の虐殺(笠原教授)

 中虐殺:10数万人程度の虐殺(吉田裕教授)

 小虐殺:5万人から6万人程度の虐殺(秦郁彦教授)

 という定義づけは学界の通説であり、虐殺否定派の人も肯定派の人もすべてこの定義づけにしたがっている。

 したがって、南京問題について【大虐殺という言葉を用いるべきではないかどうか?】という論点、について主張しなければならない根拠は、あるんだ。

 まあ野原さんが、自信を持って大虐殺説を採るなら、私は何も言わないけどね。』 (2006/09/16 17:17)

# noharra 『rajimaniaさん
私の質問が理解できないようですね。ジョン・ラーベの見た南京もあれば、松井岩根の見た南京もある。さらに当時三等国民であり現在もあなた方「無かった派」が差別意識に基づき証言の価値がないと見なす南京市民(中国人)が見た南京もある。関係者数十万人それぞれの体験があるわけです。
69年前の事件になるのでしょうか。わたしたちは「南京大虐殺」をどのような事件として捉えたら良いのでしょうか?
この問いの前に立つとき私が一番気になるのは、関係者のうち数万〜30万人が死んでしまっていて永久に証言ができないという点です。
であらためて、rajimaniaさんにお聞きしますが、なぜ南京について語りたいと思ったのでしょうか。「南京大虐殺」について歴史の真実が歪曲されていると思ったからかな。
ここで分からないのはrajimaniaさんが「中国人を1万人以上殺したことが糾弾されるべき」と認めている点です。「皇軍が虐殺した」という事実がそこにあるということは、わたしの発想では、45年までの広い中国大陸での皇軍の振る舞いの総体が、やはりできるだけ中立的に考えようとしても「糾弾されるべき」に近いものであろうということに繋がります。したがってrajimaniaさんが
「南京問題について【大虐殺という言葉を用いるべきではないかどうか?】という論点について」もっぱら主張したいという根拠は、私には全く分かりません。
要は「広い中国大陸での皇軍の振る舞いの総体」をどう評価するかという大きな問題に比べれば一部にすぎない。
それと【大虐殺という言葉を用いるべきではない】といくらがんばったところで、ある意味でより大きな問題は、中国人なり米国人なり他国人がどう思うかであり、日本語の用法についての議論は何の意味もない。(笑い)』 (2006/09/16 19:30)