松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

実感というフィクション

 ひとは実感というフィクションなしに生きていけない。即ち出汁の旨みは化学調味料に還元可能であるにもかかわらず*1、本物は違う!と主張される。伝統という実体はあるかないか分からないが「あるかのように」振る舞うのが正しいとされる。
 ことさらに語られることなく流れていく毎日の生活こそが大切だと保守派は言うだろう。それをシャドウワークと名付けたくなければそれはあなたの自由だが、シャドウワークを実践し毎日出汁を取って見せそのことに喜びを感じることができるのが保守派というものだ。

*1:近似的に