松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「ジェンダーフリー」の必要性

 少なくともバッシングが激しくなる前は、「ジェンダー・フリー」の運動の現場ではLGBTIの問題が積極的に取り上げられてきたと思います。また「男でも女でもない人」の存在と権利を積極的に肯定する雰囲気があったと思います。また実際、私は、そういった雰囲気と運動の中で、LGBTIAQへの差別を問題化する発言の場をもらって/獲得してきたという事実もあります。
 そして、「ジェンダー・フリー」を「男女平等」とまとめてしまうことは、仮にその意図はなくても、「LGBTIAQへの差別を問題化する視点」を切り捨ててしまうものに思えるからです。
ひびのまこと さんの意見)
http://weblog.barairo.net/index.php?id=1138034023 ばらいろのウェブログ

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060125/1138154508経由。
なるほど。

この抗議文に賛同/署名するのもよし、この署名にこだわらず自分で独自の抗議文をつくって東京都に送るのもよし、また、この事件以外にも抗議すべき事件は日本中世界中で山ほど起きて追いますので、そういったことに取り組むのもよし----とりあえず、こんな取り組みもされています、というお知らせです。
(同上)

このひびのさんの1行、ちょっととぼけたもので、わたしは気に入ったのでメモしておきます。