松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

北朝鮮帰国事業慰謝料請求事件

     原 告  金 幸一   
     被 告  在日本朝鮮人総聯合会
        上記代表者    中央常任委員会議長 徐 萬述

一、1959年12月に始まる朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と略す)への帰国事業によって、約93,000名の在日朝鮮人(日本人配偶者含む)が帰国した。
  当時の日本は在日朝鮮人に対する差別や偏見が格段に強く、在日朝鮮人の多くは日本で暮すことに困難を感じていた。そこへ、被告在日本朝鮮人総聯合会(以下「朝鮮総聨」と略す)が「(朝鮮民主主義人民共和国は)教育も医療も無料の社会主義祖国」「地上の楽園」という猛烈なキャンペ−ンを繰り広げ、在日朝鮮人を「帰国」へと組織した。
(略)
  日本人側で帰国事業に積極的に協力したのは在日朝鮮人帰国協力会(会長=鳩山一郎、幹事長=帆足計、幹事=政党・労組代表・文化人ら17名、各県に支部)であり、自民党社会党共産党も、要するにあらゆる政党がこれを支持し、推進する立場にたった。窓口になったのは日本赤十字社であり、すべては「人道上の問題」として推進されていった。
二、しかし、帰国者を待ち受けていたのは「楽園」ではなく、「牢獄」にも似た現実であった。自由の拘束と経済的困窮は帰国者に限ったことではなかったが、その中でも帰国者は徹底した監視・統制・分断の下に置かれた。
  北朝鮮では出身階級・階層で国民(公民)を解放直後ころから「出身成分」に分け、日本からの帰国者は非常に低い位置付けがなされている。自由主義社会の空気を十分に吸った者、異質思想の持ち主、思想的動揺者、不平不満分子、あげくのはては日本や韓国から送り込まれたスパイとみなされているからである。日本に残り、日本で生活したことが本人の罪でないにも拘らず、この差別と監視は一生ついてまわり、密告や当局の判断で、いとも簡単に強制収容所に送られるのが実態である。
北朝鮮には12の強制収容所があって、推定15万人以上が収容され、日本からの帰国者も多数含まれており、人間の生活とは言えない状況に置かれていることが、この間、北朝鮮から逃れてきた者の証言などを通じて明らかになってきている。
三、帰国者から悲鳴にも似た、助けを求める手紙が、日本にいる家族・肉親に送られてくるようになった。表沙汰にすると帰国者に累が及ぶので、日本に住む家族・肉親は秘密裏に懸命に対応した。まったく連絡が途絶えて行方不明になった帰国者を求めて必死に探しまわった挙句、その帰国者が処刑されていたことを知ったという
痛ましいケ−スもある。また、最近9年間だけでも、日本の家族の住所を尋ねる約7,600通の手紙が日本赤十字社に届いている。
四、本訴は原告の辿った過酷な体験を通し、帰国事業の犯罪性を裁判の場で糾弾し、今なお人質政策に加担している被告の責任を追及するものである。
http://plaza.across.or.jp/~fujimori/sozyo1.html 訴状全文