松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

表現過程としての被拘束空間(序)(後半)


 さし入れされた文書に何か記入してから外へ送ることも原則的に禁止されていた。「救援」紙上に掲載された自分の文章のミスプリ訂正さえ!〈 〉獄にある間、「海燕」誌上での埴谷雄高氏と吉本隆明氏の往復書簡による論争も、コピーをさし入れてもらったので四回分全てについて詳細な意見を〈 〉評として記入した(これ自体は論争を基底から転倒しうる内容であると自負している。)が、前記の規則によって外へ送る作業が妨害された。この場合には、あて先を宗教者(医師、弁護士と共に一応、別扱いされる。)とし、〈宗教〉上の問題で自分の〈悩み〉を相談するのだから、と仮装して突破した。回覧は歓迎するが、この号のテーマ群を共に追求しつつにしていただきたい。*1


 朝タの点検の際に元気よく大声で答える被収容者がかなり多数おり、私は、はじめうち、看守が怒鳴りつける声かと錯覚していた。やっと、そうでないと気付いた後、全被収容者の解放は一刻も早く必要であるとして、そのように錯覚させる発声(に象徴される表現の根拠)の自己対象化と同時にでない限り、かれらにとっても真の解放になりえないのではないかと感じている。

 獄中で、ある統計をみて、がく然としたのであるが、日本全国にある拘置施設(拘置所、刑務所)の数と国立四年制大学の数ははぼ同じである。また、四年制、短大、高専を含む全ての国・公・私立大学の数は、日本全国にある留置施設(警察署)と前記の拘置施設の総計とほぼ同じである。やはりそうだったのか!獄中でも〈大学〉闘争の永続的構造が開示されてきていたのだ。そこに出入りする人、管理する人の殆ど気付かないままに……。

 保釈後によんだ増淵利行氏の「東京拘置所」の図解で、あらためて確認したが、私が監置中にいた北三舎一階一二房は壁をへだてて処刑場に近く、勾留中にいた新三舎二階の各房(ペンキぬりかえ作業のため、二階のはしからはしまで転房したので、連合赤軍森恒夫氏の〈自死〉した空間も通過している)の被収容者運動場の向こうには豚を飼うため(→屠殺するため)の小屋がある。それぞれ獄中ではよく判らなかったが、何かの気配をただよわせており、この空間的磁場は、被収容者に深いところで影響を及ぼし続けている。それぞれについて改めて論じるとして、食事に時々出る肉についてだけ一言いうと、被収容者の残飯で豚を飼い、それの肉を被収容者が食うという怖るべき循環の開係性の変革プランが、私たちが食事する場合の〈メニュー〉の前文に、どこで食事しようと、かりにやむをえず〈肉〉食を続けようと、かかげられるべきであろう。他の生物の生命の犠牲の上に立つ食事(文明)を止揚する革命をも射程に入れつつ……。

 被拘束状況は、国家と自己の存在様式を明確に対象化する契機をも与える。このことに気付き、言葉として扱うかどうかは別として、たえず自らの課題にくりこんでいるかどうかは、私たちの共闘者たりうるかどうか判断する場合に極めて重要であると思われる。国家との対決の回路がみえにくくなったなどという者は情況からの失墜者にすぎない。一方、被拘束状況にある人々(予定〜可能性のある人々を含む)は、具体的権力機構の弾劾と同じ比重で、自らのテーマを最も遠いヴィジョンに変換させ、共闘させる作業を求められるであろう。
 私は、〈 〉獄で、被拘束空間における時間の流れにずっと関心があった。表層の出来事を捨象すれば、拘束の持続につれて、個体の生理的基層部で時間が速く去る傾向(α)、壁に阻まれてより鮮明になる被拘束者の感覚(希求)の生成や変化に関連する速度や加速度の問題(β)、法廷での審理のためだけに切りつめられ拘束されている身体性と共同幻想の格闘力学の時間構造(γ)のそれぞれの関連追求〜爆破の試みについて今後も〈 〉闘争過程で開示していきたい。
 ここでは〈 〉獄で主としてγ性の時間の耐え方で私のとった方法をのべる。私は一九六八〜九年の神戸大学闘争のバリケードの時間性を一つの暦にしていた。六八・一二・一七に神戸大学教養部学生自治会代議員大会は無期限ストを決議し、学生自治会という形態をも解体する方向で、ストライキ実行委員会を結成していく。そして一九六九・二・二の〈情況への発言〉をへて、二・十に教養部を中心とするバリケードが全学化する。B一〇九やA四三〇や〜における自主講座は、学内外のバリケード破壊勢力と対峙し続け、八・八の物理的バリケード解除後も続いていく。次々と処分〜起訴理由をひきよせ、転倒しつつ……。
 勾留が長期にわたる場合、たんに時間的な長さだけでなく、いつまで、という期限の不確定性がむしろ苦しいのであるが、私は、逆に〈バリケード〉の永続性を前提とする“未知なるものへの祈り”と共に獄を占拠しつつ、かつての日々に、被拘束空間の〈暦〉として出会い、もう一度生き、そのむこうへ歩もうとしたのであった。一二・一七法廷で永続する〈神戸〉大学闘争勝利!と口からほとばしり出た表現は、被拘束空間で、やっとその意味を私に告げはじめ、〈 〉獄の第六圏で苦闘する私(たち)を支え続けている。
p33-34『時の楔通信 第〈12〉号』(1985・8)*2

*1:(次行との間に一行あける)と原文にあるのであけておいた。

*2:松下 昇〜未宇を含む時の楔通信発行委員会