松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

12/31の朝8時すぎ後半掲載。
これが掲載された『時の楔通信 第〈12〉号』(1985・8)は、35pで製本されていないパンフレットであるが、ちゃんと活字で印刷してある。二段組である。この文章の前半後半の区別はない。
参考までに目次を簡略化して並べる。

  1. {序}
  2. 〈東京〉地裁〜高裁
  3. 〈大阪〉高裁(〈神戸〉大学闘争刑事公判)
  4. 〈京都〉地裁
  5. 〈岡山〉地裁
  6. 〈高松〉高裁
  7. 最高裁〉とのたたかいについて
  8. 地下の《宣言》室への招待
  9. 宗派の解体と宗教性の原点
  10. 表現過程としての被拘束空間
  11. 訂正

 松下氏は1984年12月17日に東京高裁第822号法廷で拘束された。
次に85年1月6日(形式的)釈放後逮捕。
85年4月30日保釈。
といった経過をたどった。この間約四ヶ月半ほど「被拘束」状態にあったわけである。
 これらの日々の経過の中に、実はわたし野原が〈 〉闘争と最も深く交差した85年2月1日の京都大学A367教室に対する強制執行事件がある。
 丁度20年前の出来事であるがその〈私自身〉をどう引きずってわたしの現在があるのかという問いへの答えは空白のままだ。

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