松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

少名毘古那神(すくなびこなのかみ)

少彦名については、古事記より日本書紀の方が多少詳細のようだ。西郷信綱の本まだ2巻までしか読んでないので出てこないのだが、しかたないので、いつものように下記から漢字テキストをコピペし、最低限のフリガナだけつけておこう。
http://www.neonet.to/kojiki/seikai/sinkoji-set.html 『真福寺古事記』影印

故、大國主神、坐出雲之御大之御前時、自波穗(なみのほより)乘(のりて)天之羅摩船(あめのかがみぶね)而、
内剥鵝皮剥(ひむしのかわをうつはぎにはぎて)爲衣服(きものにして)、有歸來神(よりくるかみありき)。
爾雖問其名不答。且雖問所從之諸神、皆白不知(「知らず」ともうしき)。爾多邇具久(たにぐく)白言、此者久延毘古必知之、即召久延毘古、問時答白此者神産巣日神之御子少名毘古那神(すくなびこなのかみ)。
故爾白上於神産巣日御祖命者、答告、此者實我子也。於子之中、自我手俣(たなまたより)久岐斯(くしき(漏れた))子也。
故、與汝葦原色許男命爲兄弟(あにおととなりて)而、作堅其國。
故自爾(それより)大穴牟遲與(と)少名毘古那、二柱神相並、作堅(つくりかためた)此國。
然後者(せてのちは)、其少名毘古那神者、度(わたった)于常世國(とこよのくにに)也。故、顯白(あらはしもうせし)其少名毘古那神、所謂(いわゆる)久延毘古者、於今者(いまに)山田之曾富騰者(そほど(カカシ))也。此神者、足雖不行(ゆかねども)盡知天下之事神也。

西郷信綱古事記註釈・3』p166以下を参考にした。
羅摩船(かがみぶね)、かがみとはガガイモのことだそうだ。らまと書いて何故かがみと読むのか。和名抄という本に羅摩子、和名加加美(かがみ)というふうに書いてあるらしい。
オホナムジに対してスクナヒコナ。兄弟に、オホ〜、スクナ〜とする命名法があった。
笙野はオホナムジ(女性)に対し、スクナヒコナ(その夫)としているがなぜなのだろう。*1

*1:金比羅』では、かな