松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ひめゆり/白梅 (7/23追加)

 まして、年齢こそ「学徒兵」より多少上とはいえ、少女たちを突然戦場に駆り出して、看護助手という名の下に自分たちを守らせる軍人たちの神経には、ほとほとあきれて言葉もない。たとえ本人たちが望んでも断るのが軍人たる者のプライドだろうに。(略)
 そして現在。前庭に美しい植え込みや花壇があって、館内には実物大だという壕の模型もある「ひめゆり平和祈念資料館」と、通りから引っ込んだところにひっそりとたたずむ「白梅の塔」(塔といってもやや大きめの石垣の上に立てた墓石というのが実態である)。ひめゆり隊は旧府立高等女学校に属し、白梅隊は私立の女学校の生徒たちだったせいばかりではない。ひめゆりは映画にもなってあまりにも有名だし、一種のエリート校で同窓生にそれなりに有力者が多くこうした事業の運営にも慣れている。一方、白梅隊の出身母体である学校は戦中に公立に吸収されてしまったため、事業の母体となる組織のメンバーを集めること自体むずかしかったのだという。その上、戦場において軍人たちの彼女たちに対する扱いもかなり異なっていたらしい。白梅隊の隊員たちは軍が陣地を撤退する時傷病兵の「処理」に直接関与させられたため、自責の念から白梅隊に属していたという事実についてさえ、戦後長い間沈黙を守っていたのだという。
 問題はさらに続く。戦後60年もたった現在でさえ、この二つのグループの間には目に見えない壁があって一緒に行動することはないのだという。私たち沖縄外の人間が当時従軍させられた少女たちはひめゆり隊だけのように思い込みがちなのは、こうした事情にも原因があるらしい。現在の私の目から見れば、(白梅隊よりは)「優遇」されたというひめゆり隊の経験だってずいぶん過酷だったのだから、少なくとも悲しみを共有することからでも始められないものかと思うのだけれど。
http://homepage3.nifty.com/medi/sakusaku/5_1.htm 沖縄紀行