松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

# swan_slab 『こんにちは。
天皇制は身分制
という部分にだけコメントさせてください。
まず身分制か否かの判断は、法制度からなされなければならない。
現行法制度とは日本国憲法の法秩序を指すので、日本国憲法上、天皇制が身分制であるか否かを判断することになります。
憲法14条は平等原則を謳い、貴族制度の廃止と栄典に伴う特権の廃止を規定しています。この原則からすれば、日本国内にあらゆる身分制度が存在してはならないようにみえますが、そうだとすると、皇位という特権的地位を持ち、国民的(市民的)権利を極限的なまでにに制限される”身分”の存在を規定する1〜8条の規定を説明しがたい。
そこで、現行の政治体制は、平等な個人の創出を貫徹せず、世襲天皇制を残したということの意味を14条の例外と理解し、天皇制は「身分制秩序の飛び地」であるとする学説が登場します。
しかし、そうすると、天皇が象徴(一条)するものは一体何かが問題にならざるを得ない。天皇は主権者でもなければ個人の平等を享受しない、特権的身分であるとすると、そのような存在である天皇が国民統合の象徴であるという考え方は、自律的個人が平等に取り扱われることを保障する国家という根本的な理念と厳しく対立してしまう。
これに対する有効な回答はいまのところないと思います。

昨年の園遊会で、天皇君が代問題に触れ「強制にわたらないのが望ましい」と発言したとき、私は内なる天皇制という言葉をもう一度思い出す必要があると感じました。(日本マルクス主義、左翼臭は強いけれどもです)http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041029#p1
あのようなリベラル発言を”大御心”として絶賛してしまうとすれば、その我々の側の心の闇を見通す必要があるだろうと。

レイプ犯ゆるすまじさんの論理飛躍は、あちこち30年前くらいには普通に通用した理屈で補えばなんとか読めるわけですが、「内なる天皇制」という言葉自体が死語になった今日では、そうした文脈依存は望めず、緻密に一つ一つ論理を立てて説明しなければ通用しないということでしょうね。』 (2005/04/23 09:32)

(野原)
スワンさん コメントありがとう。
天皇制は身分制 と言われてとっさに「身分制」って何だろと頭が回りませんでした。が、説明してもらったのでよくわかりました。
憲法14条の平等原則を普通に読めば、「天皇制」はそれに反するということですね。
「1〜8条の規定を説明しがたい。」として、背理法を使うのは、数学的ですね。憲法が無矛盾であることを前提としていると思います。裁判官などならそういう風に頭を回転させなければいけないかもしれないが、一般市民にそんな義務はないと思います。「天皇制は身分制だ、つまり廃止すべき」という意見で良いと思います。
身分制か否かの判断は、フランス革命以前以後から世界に広がった人権思想の現在に照らして、わたしたち個々人が判断できる問題だと思います。
レイプ犯ゆるすまじさんの論理に飛躍があるとは、わたしには思えないのですが。

天皇発言についてもちょっとだけ。
君が代の強制」が現行憲法の精神の否定につながるものだ、とするならば、象徴天皇は唯一の権利としてそれを強く否定すべきだ。この論理展開はおかしいですか?