松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ナターシャさん母子の行方

 慰安婦問題をどのような視点から見ていくのかに関連して、現在*1の日本の底辺で売春機構に拘束され犯罪者となるに至ったある女性についての松下氏の文章を掲載する。


ナターシャさん母子の行方

 東南アジア、特にタイの女性が、仕事を求めて日本へ多数きているが、かなりの部分がパスポートを奪われたまま売春機構に拘束され、抵抗すると身体的な暴行を受け、売春を強要されている。日本社会はこの現実を構造的に作り出しているにもかかわらず放置している。しかし、無数の虐待の過程からタイの女性による反撃の行動が生起しつつある。このページ右に転載した記事は一例に過ぎないけれども、刑事事件になることを怖れない、というよりも、そのような配慮を超える切迫した行動によって、はじめて問題の重要性を私たちに広く認識させていくことになっている点を含めて、かの女らは意識している、いないにかかわらず、名づけがたい不可避の闘争の最前線の戦士たちであり、私たちは何らかの方法で支援〜共闘していく責任があるだろう。

 大阪地裁においても、ナターシャさんが同僚のホステスを刺し殺したとして審理がおこなわれており、私も94年2月4日の公判で検察官・裁判官の質問と被告人の応答を傍聴した。いま私が痛感している問題点を列記してみると、
①多くの他の例と同様に、この事件も、加害者・被害者の双方がタイの女性である。いわば抑圧された女性同士の内ゲバであり、かの女らの怒りが真の敵に届かないままに味方を死なせていることが残念である。かの女らの情況は、経済的な侵略戦争における従軍慰安婦の位置である。本来ならば、かの女らにとってこそ反日闘争や(タイを含む)男性主導社会への闘争が必然であるにもかかわらず、少なくとも事件までは意識されてきていない経過の中に、この問題の真の悲劇がある。それは同時に、東アジア反日武装戦線の爆弾闘争の意味に共感しつつも、より存在的に複雑なこの問題へ引継ぎ応用していくことを直ちにはなしえていない私たちの悲劇でもある。
②言語の壁−ナターシャさんは、後半の一部の発言を日本語でおこない、次のぺージ右に転載したような日本語の文章を書くことができるようになってはいるが、これは2年近い獄中での学習の結果であり、取り調べや裁判や面会は日本語を強制されてきた。勿論通訳はいるのだが、それぞれの機関に属するか嘱託されている人であり、被告人の立場をくみとりつつ言語交通の媒介になるというわけにいかない。通訳の人員も研修も、法廷での休憩時間も不充分であり、公判を傍聴していたタイ語の判る人は、閉廷後に、通訳は要約・省略が多く、検察官の長すぎる文体の質問が、それを加重していた、と指摘していた。この状態に対する批判の声を裁判官は強権的に無視している。
③ナターシャさんは日本人男性との間に二人の娘(現在4才と2才)が生まれたが、父親に相当する男性の認知がないため無国籍のまま幼児院と養護施設で(年令区分により分離されて)過ごしてきた。弁護人の努力でタイ国籍がとれるようになったものの今度は不法滞在で強制送還されそうである。母親が(実質的にはせいぜい傷害致死、本質的には正当防衛であるが)殺人罪で裁かれ、長期の服役が予測されるので、今後ずっと出会うこと、まして一緒に暮らすことは不可能である。日本人の場合よりも何重にも困難な運命をしいられているにもかかわらず、これまでの東南アジアの人々への判決の先例は日本人に対するよりも重く、これは日本の支配層の差別政策を象徴している。

 私は、この問題を機関誌(例えば前ぺージに記事を転載した「救援」)によって知ることはできたが、実際に法廷まで出かける気にはなっていなかった。法廷まで出かけたのは93年末に〈ふしぎな機縁で出会った人〉の中にナターシャさん母子を支援する女性がいたからである。まことに、ふしぎな機縁であると思うが、そのようにして微かに関わり始めているに過ぎないことの自己批判をこめて、そう思うのである。私には私なりの関わり方しか今はできないとしても、その偏差自体にこめられている意味を正確に把握し、深めつつ応用していくつもりである。
 私なりの関わり方という場合、必ずしも前記の三点に示されているようなテーマとの格闘だけではない。より自由な視点、いや聴点を媒介していきたい。なぜ視点というよりも〈聴点〉がふさわしいか…。今年2月4日の法廷で初めて出会ったナターシャさんの発語の意味を私は全く理解できなかったが、発語や姿勢の総体からあふれてくる繊細な音楽性が印象的であった。これは勿論かの女の資質や、獄中での内省による成長にも関連しているであろうが、言語としての特性によることも、閉廷後に読んだタイ語の本から判った。
私は語学のセンスは乏しいし、ましてタイ語に関しては幼児以下であるが、それを前提として、あえてタイ語の特性を記すと、a−タイ語は韻および声調を基本としている。声域には(音楽の5線譜のように!)5段階あり、同じ表記でも高低の変化によって全く異なる意味をもつ。例えば maaは、高低なしに発音すれば「来る」、高い声域で発音すれば「馬」、低部から高部に移行する声域で発音すれば「犬」である。(日本語にも「ハシ」のように発音によって「橋・箸・端」などに意味を分岐させる例はあり、関東と関西でアクセントが逆になるのも面白いが、タイ語の場合は、より総体的な特性といえる。)b−タイ語は西欧の文法体系から判断すると語形の変化がなく、性・数・格・人称・時制を示す標識もなく、さらには品詞という概念さえない。(へブライ語の助詞には時制がなく、完了形と未完了形しかないことを預言の実現度との関連で印象的に聞いたことがあるが、タイ語はより徹底している。)aの韻および声調との関連における語順だけが判断の手掛りになると聞いて驚くが、タイ語を話す人々が、こういう文法体系の判断を越えて自由に意思を交通し合えていることに、もっと驚く。これは文法だけでなく文明の突破方向にも示唆を与えてくれる。
c−タイは〈微笑みの国〉といわれているが、言葉より(存在的な声を聴きとりうる他者への)微笑みの方が重視され、日本人のように無表情で形式的な美辞麗句をひけらかすことは失礼であるという。背筋が寒くなるような指摘である。
 これらのa〜b〜cを基軸とする特性から受ける衝撃を、ナターシャさん母子のテーマについてだけではなく、さまざまのテーマの追求に生かしたい。

註−ナターシャさん母子のテーマを普遍的に論じるとすれば、以上の提起で、とりあえずはよいといえるかもしれないが、この提起によってナターシャさん母子が具体的に力づけられることは殆どないであろう。むしろ、支援グループの人々とスケジュールを組んで、養護施設から子どもを連れていって面会したり、差し入れたり、タイの父親と連絡をとったり、判決が少しでも軽くなるように弁論を構想したりする方が、ずっとナターシャさん母子にとって具体的なプラスになるであろうことや、その作業に関わる人々こそが重要であり、不可欠であることは判っている。私も必要ならぱ、いつでもピンチヒッターになる用意はある。しかし、あくまで自分の不可避の闘いを展開する過程での空想上のピンチヒッターでしかないことを自覚しつつ以上を記してきた。その上で次のことを記しておきたい。
①〈タイ女性〉を媒介する刑事事件を把握する基本軸は多くの例について共通であるとして、個々の例は、より複雑な陰影をともなっているはずであり、とりわけナターシャさん母子の場合にはそういえるという気がする。あえていえば、この事件に関心をもつ全ての男性が自分をかの女と関係のある位置に置き、全ての女性がかの女の位置を生きていると仮定し、かの女らが日本で暮らした数年間に潜った条件や感覚の中で、どのように振る舞うかを考え、事件と対置してみる作業が必要であると考える。それによって事件を法的レベルで裁こうとする枠や、これまでの事件把握の傍観者性を突破しつつ、かの女らへの本質的な提起をなしうるのではないか。
②前項は、本文でのべた反日武装戦線レベルの方法だけでは真の反撃は不可能ではないかという内省にも関わる。東南アジアへの侵略企業は爆破される理由がある。しかし、買売春に関わる男(女)をどのように〈爆破〉するか。このいい方がいくらか短絡していると感じられるならば、原子力発電や家畜制度の粉砕の質の差を媒介させてみるのがよい。(*)これらは具体的な粉砕の現実的困難さだけでなく、自分の生活や存在が粉砕すべき対象に依拠し、同質の構造に組み込まれているという、より深い困難さを開示している。ナターシャさんたちの問題に限らず、各人が位相差はあるとしても日々無縁ではありえない内在性の問題との対決の方法が、今後ますます問われていくであろう。
③ナターシャさんの娘の他に、事件で死亡した女性にも娘がある。今は幼いこれらの娘たちが次第に成長していく段階で、自分の母と自分を軸とする世界把握をしていく場合の不安定さ〜絶望をいかに支えうるか、という視点を今から準備しておく必要があるだろう。かの女らこそが、今回の事件の最大の犠牲者であり、それ故に最も審判者の位置にふさわしい。かの女らの行方を見守り、共闘する人々がたくさん現われること、それらの人々が、今回の事件を引き起こした全ての要因の爆破〜解体へ突き進んでいくことを心から願う。

(*)武器〜弾薬の製造・使用への反対、自衛隊・機動隊粉砕と、原発用燃料の輸送・使用への反対、授業・入試粉砕を比較してもよい。

参考:ナターシャさん自筆手紙(上)http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/Tai1.jpg
(下)http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/Tai2.jpg   「ナターシャさん母子を見守る会」通信第3号(93年4月)より
『概念集 10』(〜1994.3〜) p16〜18 より

*1:10年前だが