松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「和解」か裁きか

番組改編問題については、
http://www.bro.gr.jp/kettei/k020-nhk.html 第20号 女性国際戦犯法廷・番組出演者の申立て NHK
で、第三者機関が出演者米山リサさんの主張をだいたい認めている。

http://www.bro.gr.jp/kettei/k020-nhk.html 第20号 女性国際戦犯法廷・番組出演者の申立て NHK

ところが、NHKは申立人が「女性法廷」について重視し、大事だと指摘していた「裁き」に関する部分、たとえば「日本軍あるいは日本政府が、かつて過去に犯した行為が犯罪であったかどうか、その判断ですね。つまり、裁きですね。それを下す手段も経ないまま、したがって、処罰されず免責されたまま」とか、「法廷が和解を前提としたものではない。和解を予め目指したものではない、ということが大事だと思うんです」などの部分を全て削除している。
このようなNHKの編集によって、コメンテーターとしての発言の本質ともいうべき「裁き」の部分が全て削除されたため、申立人の発言内容が視聴者に唐突な感じを与えたり、裁きの場としての「女性法廷」の意義を軽視し和解だけを推進する人物であるかのように誤解されかねない状況が作り出されたといえる。

 日本人は正義より「和解」という言葉を好む。しかし上記のような、NHKとその構成員といった力量に圧倒的差のあるものの意見が対立したとき、そこに形式的中立を求めることは、しばしば強い者の言い分を承認してしまうことにつながる。イスラエルによる自爆テロ非難の強力さにこの典型的例を見ることができる。従軍慰安婦問題も60年以上の時間を隔てた、この<情報を操作する者>と<サバルタン>との対位の展開である。
「和解」という口当たりの良い言葉に早急に飛びつこうとする者には注意が必要である。