松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

壁のごとし

今日はちょっと酔っぱらっていたので、本屋に行って文芸誌なんかかったことないのに、「文学アジア」とかいう特集につられて『新潮』200501月号を買ってしまった。
ダルウィーシュ*1の「壁のごとし」という詩が載っている。ダルウィーシュはパレスチナの詩人なのでこの壁とは、イスラエルが建設している隔離壁アパルトヘイト・ウォール)のことだろうか。そうであるとしてもそれは喩の彼方に隠され不分明である。
第3連はこんな感じ。天国にすでに入ったのか、すべては白である。

究極の天体のなかで、わたしはなるべきものとなるだろう。
すべてが白い。海は白い雲のうえで白い。
絶対の白い空にあって、白とは無だ。
わたしはいたのだった、いなかったのだった。
白い永遠を抜けてひとり彷徨い
時間前に到着する。
「地上では何をしてたのか?」と、
わたしに尋ねようとする天使はひとりもいなかった。
祝福された魂の賛美歌も、罪人の嘆きも聞かなかった。
わたしは白のなかでひとり、わたしはひとりだ。

パレスチナの現実では行きたいところに行く自由すらないから、死んで自由になるのか

わたしはある日、なりたいものとなるだろう。
わたしはある日、鳥となって、自分の無から存在を引っ掴むだろう。

というわけで、雲を掴むよう以上に難解。イスラム神秘主義の伝統に棹さしているのか。しかも詩としてはかなり長い、17頁。
終始、生と死の狭間の何もない空間を歩みながら、歴史と生の堆積の厚みを感じている。・・・もっと、彼の詩とその解説を読みたいと思った。

*1:この雑誌、四方田犬彦の紹介ではダルウィシュ