松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

新しいものを認識する

私たちの思考において本質的なことは、新しい素材を古い範型のうちへと組み入れるはたらき(=プロクルステスの鉄床)、新しいものを同等のものにでっちあげるはたらきである。(ニーチェ*1
 「抑(そもそ)も意(こころ)と事(こと)と言(ことば)とは、みな相(あい)称(かな)える物にして、上つ代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も上つ代、
後の代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も後の代、
漢国は意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も漢国なる」
*2
私たちは私たちが予め持っている範型(パースペクティブ)によって、考え言葉を使っている。そこで宣長がいうように、古代とか外国のような他の文化、あるいはニーチェが言う<新しいもの>はわたしたちの持っている何かに直ちに翻訳されてしかわたしたちのもとにやってこない。アポリアですね。

*1:p40『権力への意志・下』ちくま学芸文庫 原佑 訳

*2:本居宣長 『古事記伝』一之巻・総論p26岩波文庫