松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

丁玲は書く

 丁玲は(1904-1986)。生年は、日本で言えば佐多稲子幸田文と同年、宮本百合子の5年後になります。
http://bluesky.osaka-gaidai.ac.jp/~aono/zjcidian/zuojia2/d/dingling/dingling.htm に自分で書いた略歴と紹介があります。それによると、2回投獄歴がある、一回目は1933年に国民党によって、3年間。2回目は林彪や五人組の時代1970年に5年間(執筆は20年間できなかった)。上記の自伝と題された短い文章は「わたしにはある一つの考え方がある。文章を書く人は、ただ文章だけを書くべきであると、かたくなに考えている。」という考えようによっては、作家が文章を書くのは当たり前と思えばしつこすぎるいささか奇妙な文章で始まっている。彼女は三六年一〇月、中共支配地区の陝甘寧辺区に脱出して以来、共産党指導部と関わりを持つようになるが、ラディカルで文学的な彼女は政治と不可避的に関わり大変な目に遭い続けた。書くことに集中できる人生を送れたらどんなに良かったろうとも彼女は思っただろう。ただ上記の文章はそうは書いていない。「わたしは書く」ということが強調されている。
 48年革命直後に、土地革命を描いた長編「太陽は桑乾河を照らす」を発表する。あらすじから言うと優等生的プロレタリア文学だ。ですが、一時的熱狂によるテロリズムや、陰謀家による閉塞や、幹部の引き回しなどの堕落の危険性を孕んだものとして革命遂行を描いている点で現在でも充分読むに足る小説だと言えると思います。
<<自己を自己たらしめる、そのためその困難と戦う、無限の瞬間がなければ、自己は失われ、歴史も失われるだろう。不断の自己更新の緊張によってかれは辛うじて自己を保持している*1>>ところの革命という像は、権力をチェックする機能を持つので、固定化した権力から忌避されるだろう  ところで今日近くの図書館に行ったら『丁玲の自伝的回想』中島みどり編訳 朝日選書があった。嬉しかった。
http://gd.cnread.net/cnread1/mjfc/d/dingling/tyzz/
http://book.zjsdt.com/mj/d/dingling/tyzz/053.htm
ところで原文は、上記など何カ所もに電子テキスト化されているようです。