松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

自己責任(再掲載)

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20040409 とかを見ると、「自己責任」という言葉を使い、被誘拐者3人の問題への積極的な関与を政府はしなくてよいという意見が予想外に多かった、ということだ。
 自己責任についてはもっともだ。というか、“アンマンのクリフホテルからのタクシーでバグダッドに向か”うと決めたとき、バグダッドに着くことなく拘束される可能性や死の可能性を彼らは充分考えた上で行為したに違いない。死んでしまえば何処に怨みを残そうが詮方ないのであって、どのような気持ちをもって、あるいは惰性で決断したにしてもそこにはやはり、死を覚悟した決断があったとはいえるだろう。「死を覚悟した決断」というフレーズは、なにか過ちの方へ私たちを導くかも知れないという危惧もある。だがまあヘーゲルバタイユからの流れがあるので一応使っておこう。
「ほとんどの書き込みが単なるルサンチマンの表出としてしか読めません。」という2ちゃんねらーまがいの発言が多かったらしいが、そこ(決断)に<至高性>の臭いをすばやく嗅ぎつけ、それにヒステリックに反応する、野原ふうに言えば“奴隷”の心性を持った人が大量発生しているということだろう。