松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

儒教??

古田博司氏は「私は儒教が好きである。」と言った上で、次のような言葉を挙げる。「長幼の序」「父子に親あり」「朋友に信あり」「夫婦に別あり」。*1「朋友に信あり」には反対しないが、それ以外はどうも嫌だなと思ってしまう。要するに儒教が大事にするものは、家族、親族、小共同体といったものであるが、わたしはそれらから離脱した単独者でありたいと思っているのだ。
一方欠点として「労働蔑視、職業差別感、身内偏愛、女性蔑視などは儒教が本来的に背負うものであり」が挙げられる。このうち面白いと思うのは「労働蔑視」である。西欧近代は、立岩氏が格闘したように労働(と所有)を価値の源泉とみなしてきた。今日それは金銭、ヴァーチャルマネーとして最後の形態を迎えている。ギャンブル資本主義に明日がないのは自明であり、次の時代を支える思想が要求されているが未だ至らない。それを考えるヒントになるのではないか。

*1:p134『東アジアの思想風景』