松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

戦後日本のゆがみなど

http://d.hatena.ne.jp/indow/20040224 で、犬童知遠さんが応答してくれた。
 注疏書というスタイルが江戸時代には普遍的だった。例えば儒学ではない国学
古事記伝』などもそういうスタイルで書かれたのだ、とのこと。なるほど。戦後の学問も内容的には、マルクスウェーバーなどの原典への註釈に他ならないのに、そういうスタイルは取らなかった。*1いっぺんやってみても面白いかもしれない。
 それから、「戦後日本の自画像と鏡像」ついて。
大東亜戦争を支えたはずの「近代の超克」の思想は、敗戦によって否定された。論理的に検証していくといった手続きはとられず、そうした発想自体がタブーとされた。*2戦後は<民主主義>とともにゼロから出発し普遍的に世界平和に向かって進んで行くものだとされた。支那事変は、それを指す言葉さえ失われ、なかったものになっていった。1945年以降も戦争や混乱の続く東アジアへの関心は失われた。
 ここでイデオロギー的には右翼であるはずの自民党が、経済発展を至上とするためアメリカべったりとなる<ねじれ>がおこる。この問題も複雑な経過を辿ったはずだが、小泉首相におけるイラク戦争追随において、矛盾は全面的に開花した。アメリカのために死ぬことが愛国心なのか?世論はイエスと答えそうだ。
「近代の超克」については今子安さんの本を読んでいるので次ぎに書きます。ところで宮台氏が北一輝論書いているって?それはいいことだが、やはり全体的右傾化は心配。

*1:ところで、ウェーバーといえば、Ririkaさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/Ririka/20040211で知ったのだが、http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Orihara%20Hiroshi%20Essay%20Mirai%20200401.htm で折原浩さんの文章を読むことができた。お元気そうでなによりだとほんとに思った。ニーチェの言う僧侶的人間の完成体みたいに感じたが悪口ではない。

*2:だいぶ前に本屋で見た石原莞爾が戦後に書いた本今度見つけたら買ってみよう。