松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

弱者とはだれか?

12/25の「弱者の反抗可能性」に対して、またAJさんが「疑問」を届けてくれた。了解を得たので下記にコピーペーストします。*1
ところで、訂正文を読んで以下の疑問が又、湧いて来たので記してみます。
1)弱者とはだれか?   権力関係で、支配、服従、隷属・・を強いられる存在はたしかに、強者に対して弱い位置にいる。しかし、夫婦関係それに準ずる関係ではいくら封建社会においてでもふたりを権力関係とは呼ばないでしょう。つまり、弱そうにみえる位置をとりながら<弱い>ことを武器にして支配的になることも可能なので女性の関係技術のひとつでしょう。強い夫の方が結局は従属していることもあり、強弱は判定し難い。
2)Dvの場合、夫の暴力ははじめから、といううわけでなく、必ず蜜月があるようです。そして、それがサイクルになつていて激しい暴力の後必ずまた、蜜月が来る。ここら辺りが被害者に見える妻が逃げたりしないメカニズムとなっているのではありませんか?
3)しかし最期に妻の側から逆襲が起こる。これは「反抗」と呼ぶよりは妻からの「宣言」ではないでしょうか?と言うのは、そもそもDv的夫は関係意識の底の方で他者性に欠けており、自分と妻の区別がなくてふたりの一体化を思い込んでいて妻は自分の一部だと感じているのでは?従って妻が他者として現れてくることに耐えられずメッタ打ちをやって否定しようとする。やられる側は、場合によってはそれが気持ちいいこともある。しかし度を越せば「宣言」へ。なにのマニフェストかと言うと妻にとつて夫は不可分のもの。つまり、殺すことで自分化−永遠化させる働きを持たせるのでは?結局ふたりは共に他者性に問題がある、といえる。
4)3のスキームはイスラエルパレスチナの地を自分のものと思い込んで先住民を差別支配するのに擬似しているが、DVと決定的にちがうのは性的関係では反発と見えて引き合っている複雑さが必ずあります。<愛憎>といえる両義性が個的な関係では必ずあります。国家レベルでは少ない。
5)従って、「弱者の反抗」というべきメカニズムはDV関係ではあり得ないのでは?
6)本来的な「弱者の反抗」はどこに存在しているか?・・はまたの機会に。(以上AJさんからのメールより)

*1:「了解を得たので」と書くと、了解を得なければコピペしないという原則を持っているようだがそうでもない。私信はともかく、ホームページや公刊された本などについての著作権侵害は緩やかに考えて良いと思う。一般人(って変なことばだが)同士の場合、この程度のサイトでも相手がサイトを持ってなければ、私の方が情報強者である場合もありうる。そういった問題への配慮は必要になるだろう。