松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

無償化という問題設定が、テーブルを先取してる

twitterでkdxn(野間さん)という方と言い合って、質問された。
ところがどういうわけか、私にはなかなか答えにくい問題なのでした。

(野間さんの発言は  で表示。)

1)
(野原)私は特に(公金を朝高校に)入れるなを主張する気もないが。
野原さんここちょっとずるくない? 


そうなのかなあ。 私は9月からずっと、朝高教科書は朝高校生徒の学ぶ権利を侵している、と主張しているだけ。

無償化という問題設定に答えるべき、という前提が、はげしく疑問。わたしのいくつかの論点にあなたは答える義務を感じていない。優劣はどこで決まる?


2)
いや、元々の論点が「無償化」なんで、そこに答えなければ、無償化の是非について話しているときに別の話をしているということになります。
もちろん「答えることはできなくても」いいのですが、だとするなら「答えることができない」ことそれ自体を明確にすべきです。


ふーん。論点の優劣は何で決まるの? 「これ社会問題なんで、」って、いまはこれが論点だと決めて騒ぎ立てるTVとかの追認になる危険な論理だ。


3)
従軍慰安婦問題について話し合っているところに靖国問題の話をしたいという人が来たところで、前者が論点として「優」に決まってるでしょうに。正確にはそれは「優劣」ではなく、ずれているか否か、ですよ。
「ある社会問題について話している場では、別の社会問題やあなたの個人的な興味よりも元の論点が優先される」


いまはテーブルの上にあるのは、無償化という問題設定であることがひたすら強調される。


4)
それが「独立した問題」で、あなたがその二つの問題のかかわりを示すことができないのであれば、あなたは単にある社会問題に便乗して自説を垂れ流しているだけにすぎない、ということになる。


あなたはテーブルは無償化という問題設定に先取されていると主張し続ける。
であれば私が別の論点をテーブルに載せたければ、「ある社会問題に便乗して自説を垂れ流す」と非難がましくいわれような態度を取らざるを得なくなる。


5)
(2) ないとしたら、なぜあなたは無償化問題の話をしているところにその話を持ち出すのですか?


事実としては12/5の議論は、その核心は「無償化問題の話」ではない。
noiehoieの要約によると、X氏「Aという事象って怖いよね」→Y氏「いや、でもAって事象は法的には成立する話だよ」という話。
”あなたが沢山あると主張する教育基本法「第十四条 2」違反の学校は放置されていて良い、というのがあなたの意見。” ええそう思います。だから、「教育内容で公金判断するのがオソロシイ」と。この要約には野原も同意する。

長いんだけれども、その核心は以上かな。
(元の対話はこちら。 http://togetter.com/li/76576 )

後者(朝高教科書は朝高校生徒の学ぶ権利を侵しているか?)については、あなたと藤原さんの会話に割って入って、私が補足したでしょうが。しかしそれも、「野原さんは無償化には反対していない=賛成である」との前提のもとだったのですが。もしそうでないのだとしたら、あなたの論理を捕捉して他者に伝える前に、あなた自身に言わねばならないことがあって、それがこの議論ではもっと重要な話になります。


だからいわば「消極的賛成」と見なして、野原さんの言いたいことを補足したのですが、「実際には反対」であるなら話は大きく変わってくる。どうなのでしょう?

前提としては、2ヶ月近く前野原vs藤原の時に、野間さんが介入してくれたという経緯がある。(しかし恩知らずにも私はその経緯の細部については覚えていない。)

朝高教科書は朝高校生徒の学ぶ権利を侵しているか?

後者はYES。
(明確な回答をいただいているね!)

わたしが一番こだわっているこの論点には明確な答えを貰っている。


えーと、非常におおざっぱにいうとこういうことか?
1.教科書は 政治についての正しい教育から逸脱している
2.即ち、教育基本法14条 違反
3.なんらかの不利益はやむをえない つまり、公金支出はするな。

1について私は、主張し続けました。
そして、今回2を強調しました。

それは即ち3を意味するだろう、とあなたはお聞きになる。
しかしそれはあなたが考えることであり、
わたしは 1+2 → 3 という論理を強調することをする意志はない。(以上)

そんなことは言っていません。(無償化排除に)反対なのか賛成なのかどっちですか?とお尋ねしています。


(朝高教科書は朝高校生徒の学ぶ権利を侵しているか? と無償化排除に反対するか?)
(1) その二つの問題にかかわりはあるのですかないのですか? 
(2) ないとしたら、なぜあなたは無償化問題の話をしているところにその話を持ち出すのですか?


(2)について。
食卓の状況は、無償化問題の話をしているところと決めつけられている。
子犬(つまり野原)は話題に参加したければメインに話題に関係があるかのようにあるかのように、自分の話題を切り出さなければ食卓から追放される。


(1)朝高教科書は朝高校生徒の学ぶ権利を侵しているか? と無償化排除に反対するか? の二つの問題に関わりはあるか?
関わりはあるでしょう。
ただし無償化排除云々の問題は、基本的に制度の問題であり、行政官と政治家と当事者の間の問題。
ブロガーとかは、「ってか、「教育内容によって、公金支出するかしないかを判断する」って言う事のオソロシサに、気づこうよ。」という@noiehoie発言でも分かるように、基本的に思想の問題だとして反応している。
無償化排除に反対するか?は思想の問題ではないので、答える必要などない、が正解。


参考:テーブルの下の子犬 http://togetter.com/li/76576


参考:bogus-simotukare氏がほぼ同じ材料を論評しているもの
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20101208/5764321098

北朝鮮について語ること

CMLというメーリングリストで、ある方に次のようにメールした。
こちらにも転載しておきます。
http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-December/006920.html に対する返信です。

はじめまして。野原燐と申します。


>> 私の場合は他の理由ですが、31日でこのサイト投稿を終ることにしました。 北朝鮮に対して「天安」攻撃事件で線を引きましたので、ここへの投稿、後に誤解を受けたくないのでそうすることに決めました。

まあそうおっしゃらずに今後も気が向いたら投稿なさってください。

日本の左翼は、日本の支配体制が戦前から連続する国家主義を保持し、戦前からの切断としての民主主義の立場に明確には立たないことを批判しつづけてきました。その点は私も同意見なのです。しかし、それがひるがえって、北朝鮮の自国民に対する人権侵害を批判することに対する遠慮、あるいは北朝鮮の他の非行を批判することに対する遠慮に結びついている人たちが往々にしていらっしゃいます。そして朝鮮総連を中心とする勢力はそうした「良心的」左翼知識人の良心をくすぐり自分の有利なようにコントロールするテクニックを何十年もかけて洗練させてきました。
茶番はあくまで、「北朝鮮国内における民衆の実態は北朝鮮国家が隠しつづける以上知り得ない」という事実確認についてのアポリアに基づいていました。しかしいまや韓国には2万人規模の脱北者が存在し、その前提は崩れました。
茶番が持続しつづけるのは今後それほど長い間ではないのです。ですから私たちは、できるだけ感情的にならずに控えめな表現で、評価も批判も悪罵も気にせず、北朝鮮の底辺人民にできるだけ近づこうとする立場で、素直に、書きたいことを書けば良いと思います。

僭越ながら北朝鮮問題について、どのように自己をかえりみて、表現していけばよいのか、自問を混えて書かせていただきました。失礼しました。
野原燐 http://d.hatena.ne.jp/noharra