松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「反日上等」論議について(1)後半部批判

AA 本質的な論点は、「外国人の人権を擁護する運動は、「反日」的と見られないようにすべきだ」という主張に対する是非である。(金光翔
http://watashinim.exblog.jp/9975529/

BB「日の丸を拒否することは、日本を拒否することではない。」というテーゼを確認しておくべきだ、となりました。(野原)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090713#p2

AAとBBはほぼ同じことを言っている。その発想の元になった事件(主語の部分)が違うだけで。
述語部は、次のようなものだ。
日本を拒否すること=「反日」的 と見られることは、避けるべきだ。
なぜならそれは政治的に不利だからだ。少なくとも当事者の不幸を招き寄せることに加担する可能性が強い。
主語の部分は、次のようなものだ。
不法滞在外国人であること、それを排除させない運動に加担すること。
日の丸が嫌いで真面目な学校の教師であること、それを排除させない運動に加担すること。


とりあえず、金光翔さんの議論をまとめてみよう。まず2部から。

AA 本質的な論点は、「外国人の人権を擁護する運動は、「反日」的と見られないようにすべきだ」という主張に対する是非である。
(略)
aa2 まず確認しておくべきは、この主張は、入管行政の論理からそう外れたものではない、ということである。

ある論理に対して、その意味を直接取り上げるのではなく、「敵の論理」との共通性をあげつらう、という考え方を取る。ある論理に対してその意味を直接取り上げるのではなく、「反日」とレッテルを貼れるかどうか反射的に反応してしまうネット右翼と同様の思考方である。
坂中英徳(外国人政策研究所長。元・東京入国管理局長)の主張=入管行政の論理、と等値される。 熱湯欲がある主張を、朝日新聞的(アカヒ)とカテゴライズするのと同じである。

注意しておくべきなのは、多くの<素行善良>な外国人が日本社会に溶け込む方策としては、坂中の主張は間違っていないかもしれない、ということである。

法を犯したとされる外国人は最初から<素行善良>を指向していない外国人だったのだ、という誤読をさそう奇妙な文章である。平岡正明のように犯罪者と自己をアイデンティファイする変わり者でない、生活者は誰でも違法性に抵触せずに生きていくことを願っているのは当たり前ではないか。

それは入管の仕事である。入管が警察の協力を得て、引き続き中国人に対する徹底した出入国及び在留の管理を行うべきだ。それとともに、在日中国人社会が不法中国人問題を自分たち自身の問題と受け止め、自浄能力を発揮してほしい。」(同書、36頁)(坂中)

だが、もちろんこれは、日本国家・日本社会の排外性を問うことを否定する役割を果たす論理であり、日本国民から、そうした排外性に反対する政治的責任を解除する論理である。ごく当たり前の「正義」や「公正」の観点からすれば、こんな論理に乗っかることはおかしいと言わざるを得ないだろう。

 良く分からない論理展開である。
「好ましからざる外国人」の入国を阻止するのが、入管の仕事である。これ自体が日本国家の現在の有り様に規定されているにすぎず、ユートピアを措定するなら否定されるべきテーゼである、と主張するなら野原は同意してもよい。しかし、
入管問題の現状いま切迫している問題はそんなところにはないだろう。「好ましからざる外国人」とは必ずしも言えない人々が、どんどん国外退去処分にあいそれを阻止できないのだ。「「好ましからざる外国人の入国を阻止」を正義とする入管体制」=排外主義の打破、なんていいうのは石蹴り遊びさんのような〈現場〉からみたらまさに寝言にすぎない。
「外国人の人権を擁護する運動は、「反日」的と見られないようにすべきだ」

そうすると、日本社会から「反日」だと表象される外国人の人権が抑圧された場合、こうした主張を基にした運動は、守りようがないのである。むしろ、運動にとっては、そうした外国人の存在は迷惑ですらあるだろう。そして、日本社会から「反日」だと表彰される外国人の人権は、外国人に対する「日本人のイメージ」の排外性を問う、「反日上等」の精神で臨まない限り、守られないだろう。

最初のAAは、支援者が「「反日」的と見られないようにすべきか」という問だったのに、「「反日」だと表象される外国人の人権を擁護する」のどうかという問にすり変わっている。坂中氏が「好ましからざる外国人は排除」という常識をベースに議論を展開するのは当たり前である。一方支援されるべき者は、法とその執行機関というザハリッヒなものによってなんらかの違法性のカテゴライズをされているという規定により排除の危機にさらされているのだ。支援者はそれを承知で支援しようとしているのである。日本社会から「反日」だと表象される外国人の人権(例えば、刑法犯罪者だったナターシャさんの場合http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/tokyo4.html#natasha) を救おうとした支援組織も、人権侵害を食い止めようとする常識以上のものは必要としていない。
「むしろ、運動にとっては、そうした外国人の存在は迷惑ですらあるだろう。」って何を言っているんだろう。

野原は、在日や外国人を無理やり黙らせる!

黙らせる効果はゼロ。

id:F1977 抑圧され声を奪われている人々が上げた声を「寝言」などと、よく言えるものです。そうやって在日や外国人を無理やり黙らせることによって、日本人は枕を高くして、こんな大いびきをかいて眠ることができるのでしょう 2009/07/15 CommentsAdd Starlever_buildinglever_buildinglever_buildinghorai551mujige
http://b.hatena.ne.jp/F1977/20090715#bookmark-14670462

(7/18 コピペ)
なお、ふたつ目の「寝言」は削除しました。