金光翔さんに連帯するためには岩波書店の
本は、1冊を残して焼き捨てるべきではないのか!*1
野田正彰『戦争と罪責』、岩波書店、1998年
一冊というのはこの一冊ですね。なぜこの本を紹介するかというと、tmsigmundさんの下記の一節の背後には、日中戦争があると。戦争とか侵略とかいう言葉を使ってもどのようなイメージでそれを考えるかによって思考の色合いは全く変わってしまう。tmsigmundさんの場合もおそらくわたしと同じく、例えば野田本などによる「事実」を基に考えている。中国帰還者連絡会の系譜にある「事実」であり、それが正しい事実だとわたしは考える。*2
幼い村上が直観し、現在の村上が自覚しているのは、この父親が中国戦線で多くの中国人を殺してきたはずだということである。1940〜43年あたりの召集だったからには状況的にも、そして父親の振る舞いからも、類推される。
http://d.hatena.ne.jp/tmsigmund/20090220
日本軍の残虐行為として最もポピュラーなものの一つは、「実敵刺突」訓練であった。陸軍第五十九師団長藤田は、供述書でこう述べている。「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。四月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない。」「此には銃殺より刺殺が効果的である。」(註3)実際、攻撃的で強い兵を作るのに効果があったかもしれない。でも敗戦になれば、敵から絶対的に糾弾されるのは当然だろう。
βの場合もまさにこの例である。一人の中国人を数人で次々刺していくのが普通であるが、士官はエリートなので材料(人間)を潤沢に使っている。
当時、中国人差別意識が広くあったのは知られている。だが、逆に殺した後で、罪の意識を軽くするために、「なに、相手は中国人、チャンコロじゃねえか。オレは世界一優秀な大和民族なんだ。まして天皇陛下と同じ上官の命令ではないか」云々といった形で、差別意識が強化されるという側面もあっただろう(註4)
http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/dai.htm
野田正彰『戦争と罪責』の最も詳細な紹介は野原による上記ですので、読んでみてください。
*1:とりあえず、http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20081218/p1 などを参照のこと
*2:きみたちはどうだろう? という問いかけのためにこの記事を書く。
『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』
(2008年5月9日 岩波書店)
岩波書店には、読むべき本がいっぱいあるみたいですね。
参考 http://www.doi-toshikuni.net/j/doc/breaking_the_silence.html
(2/28記)
「ヒロシマからのメッセージ」
「自分が生まれた土地で平和に暮したいと願っているあなたたちパレスチナ人たちは、なぜ抑圧されなければならないのでしょうか。
抑圧の苦しみを、その長い歴史のなかで知り尽くしているはずのユダヤ人たちが、なぜもう1つの民族パレスチナ人を抑圧できるのでしょうか。人びとはみな、自分が生まれ育った土地に住む権利があります。この生存権を犯すことは大罪です。
私はアメリカ政府が落とした原爆の被害者です。パレスチナ人のみなさんの心と身体の苦しみを想うと、私の身体と心が切り刻まれるような痛みと怒りを感じます。
ユダヤ人のみなさんに訴えます。パレスチナ人のみなさんが人権を取り戻せるように協力してください。そしてまたイスラエルから原爆を亡くすようにたたかってください。
心の鎖で結び合い、共存のためにいっしょにたたかうパレスチナ人のみなさんとユダヤ人のみなさんに、神の恵みがありますように」
http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080509.html
前出した被爆者、富永初子さんは長崎生まれのカトリック信徒だった。どうしても聖地を訪ねたいという富永さんを、私はパレスチナ・イスラエルへ案内した。1987年の夏のことである。(略)
夜、イスラエル国内のパレスチナ人とユダヤ人、占領地のパレスチナ人、そして外国人参加者など数千人が集う野外集会のステージで、富永さんは「ヒロシマからのメッセージ」を読み上げた。(同上)