松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

沖縄ノートは「隊長」に対する非難は書かれている。

是。
ただ問題はそれをどう評価するかだ。

 訴状にはいくつかの著作の引用があるが、それを見れば著作での隊長に対する非難は書かれているようである。
 原告側は隊長として命令を下していないと主張し、被告側が日本軍の命令を描いていると主張し、対決していると言うよりすれ違っていると言う印象だ。
http://iitaizou.at.webry.info/200711/article_14.html

著作での隊長に対する非難は書かれている、たぶん。ただし「沖縄ノート」では、隊長の固有名はなるべく書かないようにしている。この努力をどう評価するか?が論点。

 この裁判は沖縄集団自決のシンボル的事件として描かれ、戦後の補償のために軍命令があったと偽証したとの証言もあるなど、

いやそうした事実はなかったなどと主張している人はいない(たぶん)。それを偽証と表現するかどうかが論点。

2007年 この3冊

という特集を毎日新聞がやっていた。
できたら読んでみたいという自分用のメモとして書名だけ書いておく。

  1. 列島創世記
  2. 親米と反米
  3. 日中戦争下の日本
  4. 魂の布 モンスーンアジア12人の女性作家たち 松本路子 2100
  5. サムライとヤクザ
  6. ガラスの家 プラムディヤ*1
  7. カラマーゾフの兄弟』続編を空想する*2
  8. 千年の祈り イーユン・リー
  9. 南米キリスト教美術とコロニアリズム
  10. 格差社会ニッポンで働くということ
  11. 砂時計 ダニロ・キシュ 2100円 *3
  12. 晩年のスタイル サイード
  13. ミノタウロス 佐藤亜紀
  14. 徳川後期の学問と政治 眞壁仁 6930円
  15. 十六世紀文化革命 山本義隆 *4
  16. アラビアンナイト 岩波新書

改めて見ると読みそうにない本ばかり? 
えーと今年後半は、和辻と西田の薄い本2冊を読んだのが、私にとっては画期的だった。でだいたい分かった・・・w のでまあいいか。
再度(気楽に)江戸以前や中国、仏教などの本をこれから読んでいきたい ぞ。

*1:絶対・・・読みそうにない本? ・・・後に読んだ

*2:本編を読まないとこれが読めませんね

*3:カフカ的難解長編だそうで? 映画砂時計のファンなので関係ないだろうけど・・・

*4:古典としての をそろそろ読まないと

続き(はてな版)

  1. 横塚晃一『母よ! 殺すな』(生活書院)
  2. 生田武志『ルポ 最底辺』(ちくま新書
  3. テッサ・モーリス‐スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(朝日新聞社
  4. 樫村愛子ネオリベラリズム精神分析』  ネオリベラリズム精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書 314)
  5. 美馬達哉『〈病〉のスペクタクル――生権力の政治学』  〈病〉のスペクタクル―生権力の政治学
  6. 加藤秀一『〈個〉からはじめる生命論』  〈個〉からはじめる生命論 (NHKブックス 1094)

http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071210/1197255652
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071210/1197219532
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071211/p1

推薦者と本をばらしてしまってごめんなさい。(12/11記)

わかる仏教史

宮元啓一氏の本を読んで、いまから図書館に返しにいくのでちょっとだけメモ。isbn:4393135059

・・はじめに輪廻思想 アーリア人侵入以前の農耕民族の宗教
・・輪廻からの解脱
−−根本的生存欲をほろぼせばよい。p7
−−出家 乞食(こつじき) 遊行
−−プーラナ・カッサパ 世俗的価値からの超越 
・・ブッダ目覚めた人となる。根本的生存欲を断ち切った。p24

みずからを島とし みずからをたよりとし 
他人をたよりとせず
正しい教えを島とし、正しい教えをよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。

これが仏陀の遺言。 
自己や正しい教えについても、いちおう立てておくだけで物神化しないことが大事。というふうにも読める。
・・苦楽を離れた中道
・・四聖諦説 苦 苦の元は喝愛(根本的生存欲)
・・縁起説
・・ひとの命は長くない 明日地震があるかもしれない:当たり前のこと
・・五蘊(ごうん)非我説 
・・無我 を形而上学にしてはいけない 無記(答えないこと)
・・慈悲は修行の手段
・・身分差別を否定する平等主義 階級と無関係

・・慈悲は修行の手段 というのはなかなか面白い。支援すべき対象を見出すとわたしたちはそれに夢中になり自分をそっちのけでその相手の善を中心に考えるのが正しいと思ってしまいがちだ。確かに自分というものを保持しまままで相手に小手先で関わろうとするのは正しいことではない。しかし、自分を捨て相手のことばかり考えようとするのも又、はなはだ不正確な態度であるわけだ。第一相手もただの人間であって、被保護者だからといって聖化されよりかかられては疲れてしまう。などと考えた。あまり関係ないか。
であと一つ、とても大事なことは。

わが国では、最初から国家の管理下に置かれました。

国家による仏教管理はいうまでもなく江戸幕府によって完成される。そして明治以降もその関係は清算されていない。